Palabra

「言葉」をひろっています

群落

靄の立ち込める人の群落を
黒いマスクの女が横切ってゆく
道を裁ち切るテールランプ
そっちにあるはずの街
こっちにいるはずの輩
不動であったはずの立ち位置が
容易に崩れてゆく

黒マスク

最近しばしば見かける黒マスクは、竹炭パウダーで黒くしているため、ストレスの軽減やリラックス効果もあるのだとか。

やりくり

しょうがないわな
そうなろうとしてそうなっち
まったわけじゃあなし
じゃあどうしたらいいって
どうしようもないのを
がんばりゃなんとか
なんてたわごと
やりくりできりゃ
こんなこといっちゃあいない
あ〜あっていうしかない
あ〜あってやってるあいだに
ながれていくのをまつしかない
あ〜あって

(じ160108)

やりくり

「やりくり」は、あれこれ工夫して都合をつける意味のほかに、江戸時代には、遊女や人妻が情夫とこっそり会って情交する意味にも使われていたそうです。やりくり上手とは、密会や不倫がうまい女性と受け取られていたのかもしれません。

三途川

交差点を曲がりまた歩いて
がやがやっとどこに居るか
わからずにまた独り
なのにみんなとみんなで
みんなのために歩かなくっちゃ
ならなくって迷って
惑い疲れてだから一本道
歩きたくってひとに埋もれ
ひとに惑いひとに迷い惑わされ
ああ槍投げの軌道のような
弧を描き淡々と投げ続けている
一本道 いじめられても
やぶれかぶれで一本道
三途の川まで一本道
歩いて行けるところまで

(じ150820)

三途川

「三途の川」は、死後7日目に渡るという、冥途にある川。三つの瀬があって、生前の業(ごう)により、善人は橋、軽い罪人は浅瀬、重い罪人は流れの速い深みを渡るとされます。

ひとめぼれ

秋刀魚を食う
コメをサカナに
秋刀魚を食う
秋刀魚をサカナに
コメを食う
ジャパナマを飲みながら
秋刀魚と
コメを食う
ひとめぼれをサカナに
妻と秋刀魚を食う
新世代の日本酒ジャパナマを飲みながら
ササニシキをこえる味のひとめぼれを妻と食う

さんさ時雨か萱野の雨か声もせで来てぬれかかる

血統書つきの農林8号
と農林2号
を交配して半世紀前さんさ時雨で
ササシグレが生まれた
当時の花形
福坊主1号より10アールに1俵多く取れた
そして10年
やっぱり毛並みのいいハツニシキ
とササシグレのあいだに生まれた
ササニシキ
のライバル
コシヒカリの子の
ひとめぼれ
を 妻と食う
きょうのはあぶらののりが悪いね
と 秋刀魚をサカナに
ひとめぼれを食う

(利150830)

ひとめぼれ

イネの品種の一つ「ひとめぼれ」は、1981(昭和56)年に宮城県の古川農業試験場でコシヒカリと初星を交配して育成が始まり、1991年に命名登録されました。大冷害で大きな打撃をうけたササニシキからの転換品種として作付け面積を伸ばし、1994年には全国作付け2位となりました。

蟻地獄(5句)

早乙女や安達太良山に雲は無し

明急ぐ光と影の山路踏む

沢蟹はあぶくぽこぽこ隠れ居り

新参の人類来たり蟻地獄

常念も槍も穂高も山開く

(り170613)

アリ地獄

「蟻地獄」は、ウスバカゲロウの幼虫で、乾いた土や砂にすり鉢状の穴を掘り、その底に隠れてアリなどを捕食する。その殺虫活性はフグ毒のテトロドトキシンの130倍、1ヶ月以上飲まず食わずでも生存しているそうです。

かたつむり(5句)

米蔵に罅ざつくりと雪解川

雪のひま兜被る鬼瓦

林檎咲く大峰山にプチ天守

嫁御さも里人となり田植笠

槍構へ石垣攀ぢるかたつむり

(り160526)

カタツムリ

「かたつむり」には右巻きと左巻きがありますが、日本のものでは、ヒダリマキマイマイなど少数を除いて大多数の種は右巻きだそうです。

マサカリ

だからここから
踏み込んで
地塊の奥の奥まで
掘ってゆく
ハンマーを廻すときの
軸心で踏ん張って
踵のくさび打ち込み
マサカリを振り落とす
地上にひと突き
ふた突き
肉が皮膚を突き上げ
飛び出してゆく
ままにまかせて
動きづくり歩きづくり
もう逃げないよ
ツルハシ打ち込む
ぐさりと深く

(じ150804)

まさかり

「マサカリ」は、古くは鈇鉞(ふえつ)、斧より刃口が広いので「はびろ」ともよばれ、むかしから武器や刑具として用いられました。これをかたどって家紋とした武家もありました。

ムカシ ムカシ

ミギノ ホオニ ジャマッケナ
コブヲ モッテル オジイサン
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
ヤマヘ ユキマス シバカリニ
ニワカニ クラク ナリマシタ
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
アメモ ザアザア フリマシタ
ユウダチ ヤムノヲ マツウチニ
ツカレガ デタカ オジイサン
イツカ グッスリ ネムリマス

オヤマハ ハレテ クモモナク
アカルイ ツキヨニ ナリマシタ
オヤ ナンデショウ サワグコエ
ミレバ フシギダ ユメデショカ
オドリノ スキナ オジサン
スグニ トビダシ オドッタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
トテモ オカシイ オモシロイ

   ——ダザイ オトギゾウシ

(じ151119)

おとぎ

『お伽草紙』は、終戦の年、1945(昭和20)年の10月に筑摩書房から刊行された太宰治の短編小説集。「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」の4編が収められました。

ヒバリ

カラスはカラスの
うなり声
ヒバリはヒバリに
さえずって
いつものリズムで
生は奏でる
雨は雨の音はなち
土壌へ落下染みこんで
風は風なり力をふるい
ヒューと一本なげとばす
大地は大地ときしりをあげて
ときに騒めき裂きつくす

人生の稽古場では少女がひとり
声を出さずに泣きわめく

(じ151109)

ヒバリ

たとえば芭蕉の「永き日を囀り足らぬひばりかな」など、「ヒバリ」=写真、wiki=は、田園風景の春の風物詩として多く詠まれてきました。囀りを日本語に置き換えた聞きなしとして「日一分、日一分、利取る、利取る、月二朱、月二朱」というのもあるそうです。

信楽の狸

夜桜のトンネル抜けて闇新た

信楽の狸お目覚め春山路

香も色も一重の衣桜餅

鎌倉の大仏纏ふ春時雨

春真昼チキンライスの蕃茄味

(り)

狸

信楽焼の狸は明治時代に陶芸家の藤原銕造が作ったのが最初と言われています。1951年、昭和天皇が信楽町行幸の際、狸たちが延々と続く情景に感興を覚えて歌を詠んだとされ、有名になったそうです。

伝説

生きているなら
ボケ頭
どん底どこかで
野垂れ死に
勲章なんぞ
ありゃしない
若くて逝きし
その未練
それでもすっきり
跡形なしに
来る時が来て
惜しまれて
伝説となる
まれもあり

(じ151007)

神話
*インドの伝説の女神カーリー

「伝説」は、その内容が話し手とその周囲の人々に真実であると信じられている、過去のできごとに関して述べられた話をいいます。

どんづまり

どんづまり
どうにもこうにも
行き場がなくて
生き場もなくし
犬の遠吠え
くうくうすがって
あきらめようか
畦道まがって
帰ろうったって
どこがある
開きなおるも
どんづまり

(じ151230)

どんづまり

「どん」は、名詞に付いて、まさにそれに相当するものであることを強調していうのに用い、接頭語「ど」をさらに強めた接頭語です。

破戒の出家は牛に生るる

股から胴にかけて
四つの肉塊が断ちきられた
すでに右足は天井から
垂れ下がる細引に釣るされている
海綿を持つたひとりの屠手が
しきりとその血を拭う
屠手のかしらが印判を取出し
肉の表皮へ無造作にスタンプする
引取りに来た牛肉屋の丁稚が
アンペラを敷いた箱を車の上に載せて威勢よく
小屋の中へとがらがら引きこんでゆく

肉は大きなはかりにかけられる
「十二貫五百」「十一貫七百」
屠手の一人が目方を読み上げる
牛肉屋の亭主は鉛筆を舐なめ手帳へ書き留める
あるものは残った臓腑をかたづけにかかり
あるものは桶に足を突込み血潮を洗ひ落す
片ももはいまだ吊されたまま
黄色い脂身が日の光をたっぷり吸っている

(島崎藤村『破戒』第10章の一部を改変して作成)

(じ150827)

破戒

『破戒』は、1906年に自費出版された島崎藤村の長編小説。被差別部落出身の教員瀬川丑松を主人公に、無知や因襲と戦い解放を求める人間の苦悩を描いた自然主義文学の代表的な作品とされています。

コーラス

もう歌えない
一粒のメロディも持ち合わせちゃいない
もう歌わない
流されずに黙って留まっている
もう歌わずに
じっと流されないようにしているだけ
もう歌はない
コーラスの輪はずっと向こうにいってしまって
もう歌でない
お仕着せだらけの蜘蛛の巣だらけ
もう歌わなくても
生きていけそうだから

(じ150908)

コーラス

「コーラス」=写真、wiki=は、合唱や合唱団のほかに、イギリスのエリザベス朝時代の演劇などで、前口上や結びの口上を語る語り手のこともいいます。

雲切れ

雲の切れはしで
月が化粧をはじめた
雲の隙間から
星がちょこり瞬きだした
雲の重なりをぬって
雷さんも出番をうかがっている
雲のまにまに漂って
祈りつづけるひと ひと ひと
雲のずっと向こうなら
きっとすべてがお見通し
雲の元締めに聞いてみようか
認知症のうちの母ちゃん
どこにいるんだって

(じ150913)

kumo

「雲切れ」は雲に絶え間ができること、雲の晴れ間。ときに「 雲切れを見付けた其嬉しさ(山田美妙「戸隠山紀行」)を格別に感じることがあります。

ラジオ体操

ふつふつと
脳の圧力容器から
沸き出してくる
記憶の蒸気
臨界の手前
タービンを回す
こともなく
霧散して
消えさる
拠って生きる
生かされて
はっと
鳥の声に醒める
認知症高齢者グループホームで
ラジオ体操がはじまる

(じ150807)

ラジオ

日本放送協会制作の「ラジオ体操」は、昭和3(1928)年に放送開始、数回の中断と内容変更を経て昭和26年に現在の「ラジオ体操第一」、翌年「ラジオ体操第二」がつくられたそうです。

博士

記憶のタンクに穴が開き
注いでも注いでも
たまっていかない
『博士の愛した数式』の
博士のように
80分でも持ってくれれば
いいのだけれど
けろけろっと
口に出したとたんに
漏れていって
漏れてることなんて
知ろうはずもなく
ぽかあっと何も
気にならず
いつも新しい空を
見つめていられる

(じ150819)

博士

『博士の愛した数式』は、2003年に新潮社から刊行された小川洋子の小説。交通事故による脳の損傷で記憶が80分しか持続しなくなってしまった元数学者「博士」と、家政婦である「私」とその息子「ルート」のふれあいが描かれています。

訥訥

雲は動いて雨は落ち
河は濁濁混ざり合い
風は騒騒吹きまくる
木は訥訥へし曲がり
山は黙黙山のまんま

(じ150910)

訥訥

「訥訥」は、話しぶりが流暢でなく、途切れ途切れの調子で喋る様子を意味する表現です。

スイッチ

できることなら
芭蕉になって
旅に出てみたい
叫び疲れて
開き直って
ちょっとした境地に
たどりついて
歩き出したい
くぐっておくべき門を
くぐらず来たから
歩いておくべき道
通らず来たから
戻れるところから
行き直しておきたい
スイッチ入れたら
止まらないところから
最後の人生
貫いてみたい

(じ150814)

スイッチ

「スイッチ」は、回路の開閉をする電気回路や光信号回路の基本的な素子の1つ。手で動かす簡単なものから電磁力による大型のものまであります。半導体を用いた電子スイッチは無接点で制御も容易にできます。

踏切

たれかのようには生きられず
たれかのようにと生きもせず
たれかのようには死ねられず
たれかのようにと死にもせず
この踏切は下がったまんまで
いつまでたっても開けはせぬ
時を待つのかひき揚げるのか
それともこじ開け渡ろうか

(じ151222)

踏切

困りものの「開かずの踏切」は、「ピーク時の遮断時間が1時間あたり40分以上となる踏切」と定義されているそうです。

三日月

ひっかけたら
すぱんと切れそうな三日月が
水面にどっかり横向きにすわっている
衣紋掛をぶら下げておきたくなるような
スマートな服など持ちあわせていない
退屈男がよこ顔をみつめている
あんなに鋭い鎌で
すぱすぱ刈っていったなら
そこそこには出世できていたのかと
ちょっぴり向こう傷が気になりなりながら
夜の釣り堀で
落着き払った三日月に
黙って糸を垂れている

(じ151017)

三日月

「三日月」は、朔を1日とする陰暦で、3日にあたる夜の月。円弧状の細い範囲が輝いているので、眉月(びげつ)、蛾眉(がび)、繊月(せんげつ)とも、2日までの月はほとんど見えないので新月、初月と呼ばれることもあります。

右へとび
左へとんで
翼ひろげるふりをして
逃げまわっている
挑んでみせるふりをして
じゃれついている
そんなに翼
ひろげなくても
いつもより
1ミリのばして
とんでみて
それがいいとか
わるいとか
好きだ嫌いだ
なんだとかっ
てのはずっと
あとのまつり

手をのばさなくても
つかめるもの
じゃあないものを
ちょっぴり
手をのばして
もとめていたら

(じ150926)

翼

「翼」は、飛行のために変形した脊椎動物の前肢。翼の形は鳥によって異なりますが、翼の骨は他の脊椎動物の前肢と同様、上膊(じようはく)骨、橈骨(とうこつ)、尺骨、腕骨、掌骨、指骨から成っているそうです。

ドラム缶

やっているどこかで
ぷつんと切れる
それだけのこと
嬉しくても悲しくても
やることあっても無くても
問答無用でいつか
ぷつんと切れる
それだけのこと
たれのように生きられる
わけでなく
たれのように生きたい
わけでもなくて
いつまでともなく
いつしかはじまったことを
繰り返すしかなく
悔いても諦めきれなくても
ぷつんときれるまで
いくしかなくて
救いきれる
言葉あるわけもなし

それにしてもきょうの雲
ドラム缶みたいに無骨に嵩張って
夕空の一角に納まっている

(じ150822)

ドラム缶

最も一般的な「ドラム缶」は容量は200リットル、直径が0.6m、高さ0.9mほど。ふつう、円筒部の中間に輪帯と呼ばれる2本の出っ張りがあり、構造的な補強の役割を担うとともに、転がして運搬するときの車輪役を果たすようになっているとか。

ペンキ

元気がいいはずの未来烏たちよ
いまからそんなに染まっちゃって
なんていうのは もう止して
晴れ晴れ好きでつづけてる
懲りないというか
執念というか
いえば恰好いいんだけれど
ただ染まりきった烏に
同じ色のペンキを塗りたくって
余計なお世話!いつまでやってんだと
煙たがられて

(じ150920)

ペンキ

ペンキ(塗料)の主成分は、塗料に流動性を与える成分のビヒクル(展色料)と、顔料成分からなります。その歴史は、スペイン・アルタミラの洞窟画など2万年前の石器時代にまでさかのぼります。当時の顔料は、黄土のような粘土で、ビヒクルには水、卵、ゼラチンなどが用いられそうです。

途上

まだ旅の途上にいる
なにも見ていない
風も嵐も
さして
吹いてはいない

犬ころを連れて
サンダル履きで家を出て
まださしたる呻き声も
歓声も聞くことなく
言葉を見出すこともできず
旅の途上にいる

土砂崩れ警報が出た
ところもあるそうだけど
さしたる風雨も受けず鍾乳洞を
さ迷っている

遺伝子のゲノム解読が
すべて済んでしまったというのに
まだ鯨のお腹の中にいて夢心地
途上にある

(じ150917)

C1A9401
*「http://www.luissanmiguel.com/parada-en-el-camino/」から

世界銀行の分類では、世界209カ国(人口3万人以上)のうち、149カ国の低・中所得国が発展「途上」国に当てはまるのだとか。というわけではありませんが、貧乏にあえぐ私を含めて、世界の大半の人たちは「途上」を模索しているのでしょう。

工場の灯

闇の中をとぼとぼ歩くのは
けっこう気楽なものだ
つま先の少し先はもう
見えないのだから
たしかに不安は不安
なのだけれどエイヤッと
周りを気にせず
いっぽいっぽと
踏み出していける
ひとを気にせず
自分だけを拠り所に
ちょっとだけど
前へすすめる
さしたる望みは抱かぬが
遠くに何ということもなく
足がかりの灯はともっている
働かない工場のしるしだけの灯

(じ151031)

アークライト

「工場」は産業革命の産物。初めて近代的な工場が出来たのは、18世紀のイギリス。1769年にリチャード・アークライトが発明した水力を使った紡績機は高速で強い糸を紡ぐことが出来ましたが、利用するには水車の近くに工場=写真、wiki=が必要となりました。

川中島

食らう凄みで
川にらむ
食らわれたしかめ面で
川に待つ
軍馬なき戦場に
風が立っている
山が構えている
稲穂なき枯野
揺すり揺すられ
薄の吐息
粛粛と淡淡と
濃緑の川面を
過ぎてゆく霧
おせば引き
ひけば押し

(じ151001)

川中島

川中島=写真=は、長野市南部、千曲川と犀川との合流する三角州にあります。合戦当時は両河川の河川敷や原野でしたが、いまは水田やリンゴ畑が広がっています。

狼煙

煙が上がっている
どこから
現れたのか
そのとき
何がおこった
というのか
なにか知らせる
狼煙
百年つづく山焼きの
残り火だろうか
海のただなか
いまだに消えぬ船火災の
残渣
いいやそろそろと
山の裏から出だした
最期のお告げ

(じ150803)

狼煙

発煙、発火により遠方から合図を送る「狼煙」(のろし)=写真、wiki。文字通り、北方の遊牧民や狩猟民はオオカミの糞をたいてのろしにしたそうで、狼煙・狼火は風が吹いてもまっすぐに上がるのだとか。

諦め

たとえあなたがあなたを
しんじられなくなったって
あなたをしんじつづけている
ひとたちがいるってしってますか
それはあなたのおかあさんおとうさん
あなたのともだちやせんせいたち
いいえわたしだってそうなんです

そんなにかんたんにあきらめちゃって
いいんですか

(じ151208)

renuncia

「諦め」とは「つまびらかにする」「明らかにする」というのが本来の意味で、そこでは、ものごとの道理をわきまえることで自分の望みが達せられない理由が明らかになり、納得して断念する、というプロセスをたどるのだそうです。

*写真は、https://www.zonajobs.com.ar/noticias/grandes-consejos/motivos-para-renunciar-al-empleo/

アルペジオ

大波が寄せてきて
なにも打たずに
なにも聞かずに
ごっそりと
なにもかもを
さらっていった
むなしい潮騒
チェンバロが
同じオタマジャクシを
打ち続けている
ギターが
アルペジオを繰り返している

(じ150919)

アルペジオ

「アルペジオ」(イタリア語のArpeggio)は、和音の各音を同時に弾くのではなく、ギターなどで、下から上、または上から下へ順次に演奏する方法。ハープ(アルパ)のように鳴らすところからきた言葉のようです。

牛蒡

むかってくる
キョウキとなってむかってくる
むかってゆく
キョウキになってむかってゆく
ひこうきもくるまも
なまみのからだも
ヒトはいつから
そんなん
になってしまったのか
ヒトは土根になるための
いっぽんの牛蒡
でしかなかったんでは
なかったのか

(じ151016)

牛蒡

「牛蒡」(ゴボウ)は、千数百年前、薬草として中国から伝来したと考えられ、漢語の「牛蒡」が語源。食用にしているのは韓国と日本だけといわれる個性的な野菜です。

書簡

手紙を書いて割り切って
手紙を書いて生きていた
手紙を書いて明日になり
手紙を書いて何とか歩く
手紙を書いてハラを決め
手紙を書いてしめくくる
手紙を書いてさようなら
手紙を書いて逝っちゃった

(じ151203)

手紙

文字による通信伝達の手段としては、むかしは薄い細長い木の板に筆で文字を記した木簡を用いました。平安期になると、紙すきがさかんになり、都の貴族の間では木の板に代わって和紙を使った「書簡」が主流になっていきました。

SP

摩耗した
かろうじての振幅の溝に
針を落とす
まだ回っていたのだ
12インチ
毎分78回転の
SPレコード
ばち ばち
引っ掛け 引っ掛かり
幻のマタイ受難曲を
またいでゆく
飛んで 跳ねて
擦り切れるまで
擦り切れるため
生と
回りつづける

(じ150816)

sp

「SPレコード」のSPは、standard playing(標準演奏)の略。シェラックを主材とするレコードで毎分78回転。直径30cmのもので演奏時間は片面約5分でした。国内の生産は1970(昭和45)年ころで終了しています。

辻褄

おそらくそれが
bestだよと
歩いてきたはずの
アスファルトの断片が
ばらばらになって
あっちにくっつき今度は
こっちと結ぼれて
辻褄あわせに
あくせくと
いかにもと

そういえばどっかから
欠かせぬ道連れが
居てたんだよな

(じ151116)

裾

「辻」は裁縫で縫い目が十文字に合うところ、「褄」は着物の裾の左右を指します。いずれも合うべき部分をさすことから、前後一貫したものごとの筋道のことを「辻褄」というのだそうです。

孤高

孤高の桜が
散らす
花びらを浴びる
タッチの差で最後の夢
消えたレジェンド
晴れた童顔
独り怖れず
散るに惑わず

(じ160411)

孤高

〈「孤高」と自らを号しているものには注意をしなければならぬ。 第一、それは、キザである。〉(太宰治「徒党について」)

繭の雲

あれがぎざぎざ妙義山
安達太良山はどっちのほうか
おむすび山に繭の雲
おむすび山に繭降りる
繭に包まれ蛹になって
繭を破って抜け出して
突き破られて抜け殻の
おむすび山に繭の雲
隧道トラック抜けてゆく
虫の音ばかりの道

(じ151008)

mayu

生糸は、蚕の「繭」を構成する繊維を4~11本引きそろえてできます。日本種の繭は俵形で、白または黄色。繭1粒の重さは原種で 1.5~1.8g、交雑種で 2.0~2.5g。生糸になるのは繭重の 15~20%程度だそうです。

犀川

犀の川を渡ってゆく
 いつものように
 ちょっとした用事で
犀の川を渡ってゆく
 いつものように一歩二歩
 リハビリの老人とすれ違い
犀の川を渡ってゆく
 いつものように戻っても
 繰り返すだけのことだから
犀の川を渡ってゆく
 いつものように頸垂れる
 芒の群れに見送られ
犀の川を渡ってゆく
 いつものように問答無用に
 ときは行ってしまうから
犀の川を渡ってゆく
 いつものように
 ぶらり ぶらりと

(じ150824)

犀川

「犀川」は、長野県北部を流れる、千曲川最大の支流。全長153km。松本市北東部で奈良井川と梓川が合流して犀川となり、長野市の市街地付近で裾花川と、上杉謙信と武田信玄が川中島の戦いを繰り広げた川中島付近で千曲川と合流します=写真、wiki。

蘇軾(5句)

柔らかき万年筆や風光る

津波来し一万キロや春の雷

ご破算で願ひましては木の芽時

引き際を思案中かな山笑ふ

柳絮舞ふ蘇軾左遷の旅にあり

(り)

蘇軾

蘇軾(1036-1101)は、中国・北宋の文学者、書家、政治家。政争の渦に巻込まれ、さらに直言をはばからぬ性格もあって、しばしば左遷され、生涯の多くを地方長官で過したことで知られています。

桃の花

わけを打ち明けられてみれば
そこにあるのは箱庭の
吹きっさらし
はるかむかしに向きあった
餓鬼大将たちの古戦場
いつもみのらぬ林檎園
そんなことにも気づかなかった
ただの空

渦に巻かれてここに在るのは
子どものころの学級委員の
宿題を果たすためなのか
幹の動脈からわかれた
枯木の枝が空にはえ出して
もやもや病の血管みたいに
よるべなく
クモは巣をつくっている

吹き出物に満ちあふれた
卑小な宇宙のお椀の表層に
いつか咲いたはずの桃の花が
散らばっている
どこへ行こうと此処にあり
どこに在ろうと尽きもせず
それでも微かな彩りもとめ
ひろがってゆく

不慣れな定年退職者の
不慣れな痴ほう老人の
さして深刻でもない孤独が
ぶつかりあっている
虫眼鏡で覗きつづけていたら
サイクロンに呑み込まれたまんま
やっと遠くから望遠鏡で
眺められるような気がしてたのに

一本のかろうじての鍬で
老いた素人農夫が
耕しはじめた
春は疾うに過ぎ去った
痩せこけた畑地を
生きものの気配失せた土くれを
植えるもの未だ決めかねて
降り下ろしてゆく

(思160908)

モモ

ちょうどこの時期、淡い紅色花をつける「桃の花」=写真、wiki=。桃が咲き始める時期は中国では桃始華、日本では桃始笑と呼ばれ、それぞれ啓蟄の初候、二候にあたります。

スライダー

ここまで来れば
最後まで
ここから行けば
最初から
どこからも
いつまでも
最初に戻って
最後から
歩き疲れて
また歩く
直球疲れて
スライダー
また投げる

(じ151202)

スライダー

マウススライダーのように機械などの滑動部分をいう「スライダー」。野球では、投手が投げる変化球のうち、利き腕と反対側に水平に滑るように曲がる球のことです。

忸怩

そこまで
いかなければ
なにもみえてこない
そこがどこなのか
わからない
そこまでゆくすべが
みつからない
タテにしても
ヨコにしても
ゆすっても
ひっくりかえしても
みえてこない
忸怩たり
すすめず
もどれず
じっといきる

(じ151011)

恥じる

森友文書「改ざん」で、「忸怩たる思い」をしている財務省のお役人も多いのでは、と察しますが、漢字の「忸」も「怩」も恥じるという意味。振る舞いや行動について、恥ずかしさ、恥じ入る気持ちが起こることをいい、「残念」「悔しい」といったニュアンスはないそうです。

弥勒仏(5句)

屈伸の体操始む恋の猫

春寒や裸に近き弥勒仏

春めくや千手菩薩の手も動く

夜桜や癌病棟の窓明り

無念だと外科医は逝きぬ花灯

(古150321)

弥勒仏

「弥勒仏」は、遠い未来、慈しみにより生あるものすべてをすくう菩薩。釈迦入滅後56億7000万年ののち、兜率天(とそつてん)から地上にくだり釈迦にかわって衆生を救済する、とされます。

ひと

雲の下で想う人がいる
雲の下にその人を想うひとがいる

青空の下で恋する人がいる
青空の下にその人を恋するひとがいる

星星の下で囁く人がいる
星星に向かってその人に囁くひとがいる

(じ151205)

青空

太陽から放射され地球に到達する光の一部は大気層で散乱・吸収されて、残りは直射日光として地表に届きます。散乱・吸収された光の一部は青空光として地表面に達し、曇天の場合、雲による拡散透過や反射を経た曇天光が地表面に到達します。

若布(4句)

春めきて四方見渡して歩道橋

はるあさし思川には泪橋

潮寄せて桶にあふるる刈若布

強東風や寝顔のまんま乳母車

(岳150307)

ワカメ

古事記や万葉集にもみられる「若布(ワカメ)」は、若いほど味がよく早春が旬。若さに通じるとして「若布」という漢字があてられているとか。

生痕

途切れた記憶を縫い合わそうと
躍起になってもまた忘れ
頼れる生の紡錘体を
見失う
飛散してゆく時間
羅列にならぬ
生きている証し
戻ってこない月日
在るのか無いのか
流れされるままの痕跡

(じ150712)

生痕

「生痕」=写真、wiki=は、痕跡化石ともいわれる、生命現象、生活現象として堆積物に残されている化石。足跡、尾を引きずった跡、はった跡、穿孔、巣、巣穴、排泄物などがあります。

ぼけた頭でまなこを定め
夢破れても沈んでも
懲りずに生きて
雨 雨 雨 
雪に変われぬ
ぬるい雨
そぼ降るなかを
それでも歩く
まだ見ぬもののある幸せを
噛み締めている

(じ151125)

雨

空気中の水蒸気が昇華・凝結して雲粒になり、衝突・併合を繰り返すことで成長して「雨」ができます。雨滴のできる過程で氷晶が含まれているかどうかで「冷たい雨」「暖かい雨」の二種類があります。

面影橋



冷たい風が
白く吹き
青空に
吸い込まれてゆく
コッペパンを
かじり かじり
ちんちん電車に乗り込んでゆく

乗りあわせた
生きあわせた
ひとの
目の位置
耳のでっぱり
立って二足歩行を
はじめてから
幾ばかりかの年月を重ね
背の傾き 皺の並び

人間ってどうして
こんな顔 こんな姿かたちを
しているのだろう
生きるかたち
面影橋の
つぎは終点

(じ150428)

面影橋

いまの「面影橋」は、都電荒川線の停留場のそば、神田川に架かるどうということのない橋ですが、江戸・明治期には山吹の里の地とされる名所だったとか。この世のものではない存在が見え隠れする神秘的な雰囲気もあったのでしょう。

木綿豆腐(5句)

過ぎゆくは一番電車春疾風

水ぬるむ木綿豆腐にけづり節

童顔で逝きたる友や春の夢

麗らかやバケツに絵筆渦の色

花吹雪蹴散らしボール遊びの子

(り改170414)

木綿豆腐

豆乳の温度が約70℃に下がったところで凝固剤を加えてかきまぜ、綿布を敷き穴をたくさん開けた型箱に移して凝固させ、重石をかけて水分を切ると「木綿豆腐」ができます。絹ごしは濃いめの豆乳を穴のない型箱に入れてそのまま凝固させ、重石を用いないので表面が滑らかになるそうです。

薊(5句)

首傾ぐフラスコふたつ日は永し

春宵や市電溶け入る街明り

すがすがと風吹きぴんと立つ薊

自惚れも素飛ぶ蒲公英畑かな

言ひ過ぎにはらわた凭る夜半の春

(り160413)

アザミ

「薊」(アザミ)は、葉や総苞にトゲが多く、さわるととても痛い草の代表格。スコットランドでは、そのトゲが外敵から国土を守ったとされ、国花となっているそうです。

水たまり

しっとりと濡れた尻のでかい
道祖神のへそのまわりにへばり付いた
コナゴケが黄緑の蛍光色を放っている
にょきんと髪ふりかざしながらも
いちおうの列をなす長ネギ畑
あぜ道に戦国時代の勢力図のように
水たまりが並んでいる
さあ出来たてだ
餡子がのった草団子の山が
母屋に運ばれてゆく

(じ151102)

水たまり

水たまりのあとに残る粘土は子たちにはかっこうの遊び道具となります。とりわけ泥団子は、乾燥させるとものすごく堅くなります。