Palabra

日々「言葉」をひろっています

みつ

水がみち水はひく
潮がみち潮はひく
財がみち財はひく
人がみち人はひく
血がみち血はひく

地にみち地をひく
空にみち空をひく
心にみち心をひく
夢にみち夢をひく
道にみち道をひく

鳥は生き鳥にしぬ
人も生き人をしぬ
野を生き野にしぬ

(じ151006)

満ちる

自動詞の「みつ」には、①(限度まで)いっぱいになる、充満する。「屋(や)のうちは暗き所なく光みちたり」(竹取物語)②満月になる③思いや願いがかなう、成就する、などの意味があります。

野良

歩き終わったひよこの子
歩き始めたあまのじゃく
ああ ここまで
でも ここから
ひょっこり家を出て
かあちゃんも
こどもらも
野良猫も

(じ150718)

野良猫

「野良」(のら)は、野や野原のこと。また、放蕩をいうこともあります。古今集に「さとはあれて人はふりにしやどなれや庭もまがきも秋の野らなる」(里は荒れて住人も年老いた宿だからか、庭も垣根も秋の野原のようだ) 

鬼瓦(5句)

せせらぎや鞭声粛粛猫柳

温む水アキレス腱を伸ばしをり

雪融けて面構へよし鬼瓦

弘徽殿の夜の深みや雛灯り

船を漕ぐ惚けし母や猫さかる

(り170314)

鬼瓦

江戸後期の小山田与清の随筆『松屋筆記』によると、「鬼瓦」は河伯(河の神)をかたどった一種の魔除(まよけ)だったそうで、後には鬼面のないものも鬼瓦、鬼板というようになりました。 

無心

やっと覚悟を固め
ゆっくりと
無心に
動きはじめた。
それまでに
人生のいいとこの
大半を費やしてしまった。
まあ
しょうねえな。

(じ150828)

無心

「無心」は文字通りに解せば、心の無いこと。「無心に遊ぶ」といえば無邪気なことだし、「無心する」というとお金などをねだること。仏教では、妄念を離れた「心そのもの」を意味するそうです。 

姿勢

ちょっとやそっと
つついたくらいでは
かおをだしても
すぐにひっこめてしまう
もう二どとおめにかかれない
かもしれない
生けどりにするには
根こそぎもって
いかなきゃだけど
そんな力はありゃしないよ
ちょっとやそっと
やったところで
その気になっただけで
けっきょくなにも見えやしない
それでもそっちを向いたまま
見つづけている
それしかないんだ

(じ151101)

姿勢

直立の「姿勢」こそ、人間を人間たらしめたともいわれます。直立姿勢を維持するため、人間の脊柱は軽くS字状に曲がって、ばねの役を果たし、上半身を支える骨盤は幅広くなっています。 

炭木

じぶんの力
精いっぱいすることだな
そう
自由ってのは
じいちゃんはそう言って
炭木を三束背負って山を降りていった
ばあちゃんの炭木は二束
並んで山を下った
結婚して五十五年
生活はふたり
人生もふたり

(不141221)

炭木

「炭木」は、焼いて炭にする木、炭材。日本ではナラ、ブナ、カシ、クヌギなどの木材が用いられてきました。 

信繁

なにもかもがやっと
気にならなくなって
なにもかもからやっと
自由になれそう
雪が雨に変わっていくのを
ただずっと見つめている
故郷の英雄真田信繁が
本陣めがけて突っ込んでゆく
雄姿をずっと眺めている

(じ160131)

真田信繁

真田信繁(幸村)がヒーローとして登場するのは、1672(寛文12)年の軍記物語「難波戦記」が最初。大阪の陣で討ち死にし、大坂城が焼け落ちる記載もあります。 

蓮華

人生最後の宿りとなるか引っ越し覚悟きめ本を捨て服を捨てて

風呂もトイレも最新式マンション住居というよりホテルのにおい

足かせあってこその人生と割り切りサラリーマンのローンライフ

きっかけをつくりたい大切にしたい追いまくられの一区切り

新しく備え付けた本棚並べる本の順迷いつつ僕のちっぽけな世界

七年住んだアパート出てまた鳥籠のなかでも浮き浮きっと始まる

清浄巨大な蓮華の中にあるというこの世つつましく浮かぶ暮らし

(未2003.1 150223)

蓮華

「蓮華」はインドではめでたい花とされ、泥沼から生じるものの濁りに染まらず清く美しく咲くことから、仏教思想の象徴的意義を託されているそうです。 

交差点

どこかの変曲点で
それなりのまがり方をしてきた。
記憶を手繰り寄せて
ちょうどあの曲率あたりを
探ってみる。
辿っていたはずの道端にはもうわたしの足跡はなく
迷ったあげくに渡った交差点では
信号が無造作に点滅を続けている。
ただ そこに
覗き忘れたふりをして通り過ぎてきた小さな穴がいくつか。
ほじ開けて顔を出してたら
どんな景色が見えたのだろうか。

(恐150130)

交差

文明の「交差点」といった使われ方もよくされます。たとえばトルコのイスタンブールは、ヨーロッパとアジア、キリスト教文明とイスラム文明が「交差」する魅力的な都市です。

鬼やらひ(5句)

寒暁や観音さんもお目覚めか

折畳み傘の骨接ぎ玉霰

数珠繋ぎ光欲しがる凍豆腐

燈台や流氷ただいま接岸す

緑鬼黄鬼も交じり鬼やらひ

(り160212)

節分

節分の豆まきは、大晦日に宮中で行われた「鬼やらひ(追儺)」に由来します。四つ目の仮面をかぶった舍人を鬼に見立てて殿上人が桃の弓で蘆の矢を射かけ、群臣は声をあげて鬼を追い、内裏の四門を廻ったといいます。


アキレス腱

闇のない空を百歩あるいて百歩はしる沈黙が解けはじめる

掠れているのに融けぬホテル・レインボーのネオンのじれったさ

無人契約機お自動さんの前 ヘッドライト消える躊躇しながら

熱帯夜のそらにけむりが上ってゆく一筋に吸い込まれて

電柱に両手張りつけアキレス腱を伸ばし夜も屈伸している

(未150312)

アキレス

『イリアス』に出てくる不死身の英雄アキレスは、唯一の弱点であるこの腱に傷を受けて倒れました。子どものころ、海の神テティスは彼を不死身にするため冥界の川スティクスに浸しましたが、つかんでいた踵だけは水につからなかったのです。 

落語

なめらかにたたみ
まるめこんで
おちてくる
雪をまきことば
はきあげながら
ぐさりとはまって
ことばのわだち
声まきあがり
みかげをみがき
さそってすくい
ふきあげて
まろみこぼれて
舌のつけねの
つけねのさきを
はねのけ化けて
生きたことばの落花生
死んだことばは滝のぼる
まるめろトレモロたたみこみ
そこのけそこのけ
車輪はまわる

(じ160104)

落語

元禄期、露の五郎兵衛が京の辻で軽口頓作を行なったのを「辻噺(つじばなし)」といい、これを行った「噺家」が落語家の始まりとされます。話の終りに、さげ、落ちがあるので「落し咄 (ばなし) 」とも呼ばれるようになり、明治に入って「落語(らくご)」と音読されるようになりました。 

原付

悪鬼に責められて
目が覚めた
アンタが死んだ夢を見たと
連れ合いはいう
なぜか婆ちゃんの原付バイクに
乗って転んで跳ね飛ばされて
――逝ったらどうするんだ?
そのときはそのとき
夢は夢だし明日は明日

(じ151211)

原付

「原付」すなわち原動機付自転車はもともと、自転車に小型のガソリンエンジンを取り付けたモペッド。当初は自転車と同じ軽車両扱いで免許は不要でしたが、1952年に14歳以上を対象とする許可制となり、1960年の道交法施行で16歳以上を対象とする免許制になりました。

しょうゆラーメン(6首)

どこからか何を揃える大掃除そこにあるのはぼくの混沌

ひさびさの夕焼け小焼けにレストラン華屋与兵衛でオムライス食う

まっすぐにゆけばそれだけショークラブ・リップスのまえで悟りひらける

不惑まであと一年の元旦は味濃いしょうゆラーメンにする

人生の並び替えには本棚にことしも早々二冊くわえる

フロッピー一枚分におさまるよぼくの人生妻に説きおく

(人1999年1月、150101)

ラーメン

チャーシューやメンマが載っかったしょうゆラーメンは、1910(明治43)年に浅草の『來々軒』で出された東京ラーメンが発祥、とされるそうです。 

ネクタイ

いつからかネクタイを
締めなくなっていた
どうしてこんなことに
気づかなかったのかって
締めるのやめたんだ
ネクタイ締めて
老いてきた
ひさしぶり
喪服にネクタイ
きゅうきゅう締めた

(じ160128)

ネクタイ

「ネクタイ」は、ルイ14世に仕えるためパリに来たクロアチアの軽騎兵隊の将兵が首に巻いた色鮮かなスカーフから、ネクタイを意味するフランス語 cravateが起ったとか。 

みち

どっちみち
こっちみち
あっちみち
そっとみち
やっとみち
ぢっとみち
ぞっとみち
ほっとみち
よってみち
そってみち
だってみち

(じ150717)

みち

「みち」と読む言葉には、「道」「未知」「満ち」「蜜(みち)」などいろいろあります。

提灯ぬぎ

ばさっと提灯を
たたむように
ズボンも
スカートも
ずどんと降ろして
提灯ぬぎで
一日をおえる。
できることなら
ついでに
肋骨も腰骨も
ばさっ もろもろの
脂肪ごと降ろし
灯を消して
いらないもの
みんな通し終えて
赤い雷門も
ちっちゃい命も
ちゃんと
折りたたんで
おやすみなさい

(じ151021)

雷門

「提灯ぬぎ」という正式な言葉があるわけではないのでしょうが、ズボンなどを提灯を畳むように脱いだ形容に何となくそう呼びたくなります。 

落花生

下弦の月の皿に
真空を盛る
雪が雨にならず
真空に消えてゆく
会うことできなくなった
顔が皿に浮かんでいる
こっちじゃテロで
火山噴火で
また逝ったよ
腹をかためて
ぽりっと
また落花生を
割ってるよ

(じ160115)

落花生

南アメリカ大陸原産の「落花生」には、地豆、唐人豆、異人豆、だっきしょ、ドーハッセン、ローハッセンなどいろんな呼びかたがります。 

呪文

自分の中にいる心地よさにまどろみ
外に出なくてはならぬ苦痛に喘いでいる。
地球に縛りつけられているわたしは
慣性のまま。
じたばたしてなにになる
といいきかせてみる。
(わたしなりの悟り)
時は可付番無限数列の呪文
どこまで数えていけるのか。

(恐150131)

ちちんぷいぷい

よく使われる呪文「ちちんぷいぷい」は、古くは「ちちんぷいぷい御代(ごよ)の御宝(おんんたから」と唱えたとか。その語源は「知仁武勇(ちじんぶゆう)御代の御宝」という説もあるそうです。 

非常食

食ってきたもの
食われずきたもの
冷凍庫に
入り浸っていた
ものたち
エビフライに水餃子
酢だこにマリネに中華丼
大むかしの食い残り
食いかけ非常食
思い出してチンして
解かし食べる
まだ食える
また食えた
日脚は伸びて
まだ行ける

(じ160222)

非常食

「楽天」の非常食ランキングNO.1は、5年保存の非常食「防災用品を7日分38種類50品をセットにした心も満たす7日間満足セット」13,600円だそうです。 

雪だるま(5句)

息の白確かめながら一歩二歩

行く手にはいつものおでん屋台もなし

女学生ページをめくる毛手袋

きのうきょう間に生まる雪だるま

豆腐汁腹におさまる温かさ

(海150121)

雪だるま

坂から雪玉を転がすと、加速してどんどん雪がついて直径が大きくなります。まさに、「借金」などに用いられる「雪だるま式に増える」です。 

わずかな視力で見つめる
そこの 穴 
そこしか見えないから
そこだけを見る
そこだけを見るから
前に進める
そこだけを見て進むから
生きてゆける

(じ150728)

穴

「穴」は、江戸中期以降の流行語で、軽々には人の気づかない世相風俗の現象や人の癖や欠点を指すこともあります。“あな”を指摘した描写や表現を“うがち”と称します。 

日脚(5句)

灯台やいま流氷は接岸す

雪を踏む音や交番赤洋灯

冬ざれや白身の厚き茹で玉子

声寄せて伸びる日脚や通学路

春雨や魔女の一撃妻眠る

(り170213)

日脚

「日脚」は、太陽が空を移り行く動きや日の出から日没までの長さのことをいいます。日脚伸ぶは太陽が空を移動する足が伸びたように感じられるさま。

大寒

太鼓が響く
締まった太鼓が響きわたる
地下に潜っていた地下鉄の電車が
地上に顔を出したとたんの空気に
太鼓が響いてゆく
レールのうえをきーんと
つたわってゆく
架線をびりびり
ひっかいてゆく
死んでいた生き物たちが
窮屈な都会の隙間から
気配をうかがっている

(じ160121)

寒い

「大寒」は、二十四節気の一つで、1月20日ごろ。寒さが一年のうちで最も厳しいとされます。「大寒といふ壁に突きあたりたる」(万太郎) 

いつか芽を吹くと
楽しみに生き
いつか花ひらくと
楽しみを老いる
いつか旅に出て
いつも旅にある
ちょっと旅を識り
いつしか旅を想う

(じ151019)

旅

旅は「給(た)べ」の転訛。他人に食を求めるという原義に発するそうです。 

地球ゴマ

やっとそこまでやったのに
またトンズラかい
せっかくそこまで登ったのに
また降りてきちまって
生きるはざまを
にげまどっている
どこまでも行きの逃亡者
たぶん地球に果てなんて
ありゃしないから
まわりつづけてるだけなんだろう
地球ゴマみたいに
ひょんと乗っかって
追っかけまわされて

(じ151108)

地球コマ

回転軸と円盤の周囲を金属製の保護枠で覆っている「地球ゴマ」。回転する円盤と軸が分かれているため、軸を傾けたり綱渡りさせたりといったことが容易にできました。 

しまり雪ざらめ雪

鈍重に時間を刻む
土蔵の壁に
しゃらしゃらと
しまり雪ざらめ雪
灯をともして
いるのだろうか
あたりまえのように
内蔵したまま
漏れて来ぬ
ざらめ雪しまり雪
沈黙の重心
植え込んだまま
消えかかった
土壁の家紋
乾き雪
いつにか
風花

(じ160130)

しまり雪

「しまり雪」は、上に積もる雪の重みなどによって固くしまった丸みのある氷の粒からなり、「ざらめ雪」=写真=は水を含んで粗大化した丸い氷の粒や、水を含んだ雪が再凍結した大きな丸い粒が連なったものをいいます。 

独我論(6首)

両手をひろげつかみにかかる とどくまでの時間にたじろぐ

抜け出して大人になったはずのソコに懐かしい独我論の空洞

たたき崩し奪いたかった「確信」つかまぬままなのにいつか

いき遅れたたいて渡る石橋の向こうにはだし抜けの未来

捨て去るつもりなく捨て去った人生いきるのもまた人生か

言葉の味付けが溶けはじめたからもう一度書きはじめる

(未2002.1)

独我論

リンゴが存在するのは私が認識しているときだけで、認識しなくなればリンゴも無くなる。このように「独我論」では、すべては私の意識の中にのみ存在すると考えます。 

はずみ

生きたはずみ
死んだはずみ
生きているはずみ

死んでしまったはずみ
水虫になったはずみ
癌になったはずみ

失職したはずみ
手にしてしまったはずみ
零れていったはずみ

車にあたったはずみ
黒海でおぼれたはずみ
砂漠に降り立ったはずみ

木偶坊と呼ばれたはずみ
出来物のできないはずみ
川に流れてしまったはずみ

たまたま刺されたはずみ
生き恥さらしたはずみ
溺れかかったはずみ

執着しつくしたはずみ
横断歩道を渡ったはずみ
違法駐車のはずみ

エレベーターが止まったはずみ
貝柱にぶっつかったはずみ
波がやってきたはずみ

(じ150922)

はずみ

「はずみ」には、金品を奮発することの意味もあります。「遣らいでも能(え)い所(とこ)へ遣るのぢゃさかい、はずみぢゃ」(『浮世風呂』) 

あみだくじ

きょうが終われば
あみだくじ
あしたが来ても
あみだくじ
どっちみち
なんていわずに
あみだくじ
ねらい定めて
あみだくじ
一発勝負
あみだくじ
問答無用
あみだくじ

(じ150731)

あみだ

もともと、紙に人数分の放射状の線を書き、対象となるものを一端に書いてこれを隠す。各人が別の端を引いてこれを引き当てる「あみだくじ(阿弥陀籤)」。放射状の図形が阿弥陀像の光背に似ているので、こう呼ばれるようになったそうです。 

半寿(5句)

本年もまずは左手初手水

母半寿霰撥ね除け徘徊す

悴む手成らぬ想ひにしがみつき

松下しごみの曜日のごみの山

壁土の零れる蔵や雪起し

(り)

碁盤

「八」「十」「一」を組み合わせると「半」という字になることから81歳を半寿といいます。将棋盤の目が「9×9=81目」なので盤寿という別名もあるそうです。

老子

もうそういうの超えて
眺めていられるところへ
来ているじゃあないか
駒ヶ岳の頂は雲のうえ
伊那谷の老子のように
求めず 自在に
居ればいい
在ればいい

(じ150730)

老子

「上善は水のごとし。水は善く万物を利してあらそわず、衆人のにくむところにおる、ゆえに道にちかし」 

蓄音

寒空に雲のバーコード
つながりそうでまた
解け出してゆく
懐かしいなあ
アナログ蓄音機の
らっぱっぱ
いつの間にか犀川も
デジタルの帯だもの
それぢゃ竜の餌食ってもんさ
48色いろえんぴつも
煤けたほうしか減っていきはしない

犀の川が月を浮かべて流れてゆく
川べりの枯葉擦れざわめき
待つものない家路急ぐ

(じ150930)

蓄音機

1877年にエジソンが発明した「蓄音機」は、錫箔を張った銅製の円筒を手で回転させてホーンの根もとについた針で音を記録。振動板と針を代えてこの音を再生したそうです。 

カラス

風は去っていった
雨は切れていった
川はがあがあ吠えつづけ
ひともがあがあ息をしている
カラスのようにがあがあと
のども枯れ果て
呼んでいる
呼んでいる

(じ150911)

烏

「カラス」は山の神の使い。関東平野では正月11日、カラスに餅を投げ付ける「烏勧請」、岩手の遠野では15日に小さく切った餅を枡に入れてカラスに投げ与える「烏よばり」という行事があります。 

女神

太いカイナ(腕)が
左差しを許して
スカイツリーのLEDの灯が
ひきづり降ろされた
自由の女神が
闇の中で鼓動をはじめた
何もぶらさげられず
何もぶらさがらず
あるいている
老いてゆく

(じ150921)

女神

ニューヨーク港内リバティー島にある「自由の女神」は、米国の独立100周年を記念してフランス国民が贈呈したもので、1886年に落成。右手にたいまつ、左手に独立宣言書を持ち、台を含めると93メートルに達します。 

ドン・キホーテ(5首)

去年今年棒なぞ見えず在りもせず鳴いて飛ぶのは雁の宿命

とどまって居たくないだけ進化論しんじて渡るふりして渡る

いつからか俺を殺すという使命潰えし妻と餅を頬張る

人生に途中下車なし鈍行で故郷にかえる路も途絶える

今年こそドン・キホーテにならんぞと死ぬるときだけ正気ならよし

(人141231)

キホーテ

セルバンテスの『ドン・キホーテ』(前編1605、後編15年刊)は、騎士道物語のパロディーとして意図されましたが、理想と現実、詩的真実と歴史的真実を代表する2つの不朽の人物像をつくり上げ、世界文学史上の傑作と位置づけられるようになりました。 

めぐりん

浅草で循環バス「めぐりん」に乗ったら
隣りのお母さんの膝にのっかった
一歳七カ月だという男の子から
握手をもとめられた
あどけない顔つき
マカロニのような指のたばは
意外に冷たかった

渋滞つづきのバスを降りると
陽は暮れかけていた
コインランドリーがまわっている
営業をはじめたカラオケ屋から
かすかに光がもれ出してくる
ひとは薄い闇からぬっと
あらわれまた消え入らぬまま
姿を消してゆく
白雲の群れのあわいに
薄星がひとつ浮かんでいた

めぐりん

台東区循環バス「めぐりん」は、区内を循環するコミュニテイバス。「北めぐりん」「南めぐりん」「東西めぐりん」「ぐるーりめぐりん」の4路線、全線共通100円で運行しています。

カント(5句)

大北風尻で蹴散らす道祖神

繭玉や餓鬼大将も知りし恋

外套のカント時計を気に掛けり

我が事の如く語らふ藁仕事

大寒の奏づる音に耳寄せり

(り160112)

カント

自然科学的認識の確実さを求めて認識の本性と限界を記す批判哲学を創始したイマヌエル・カント(1724-1804)は、青く小さな、でも輝く瞳をもった小柄な人物だったとか。時間に正確なので、散歩で見かけたカントの姿を見て時計の狂いを直したという有名なエピソードもあります。 

知ったかぶり

ぼさりぼさりと
ぼたん雪
ぼやきぼやいて
バスの窓
おむすび山が
ぼんやりと
道いそがねばの
わけはなし
ぽさりぽさりと
知らぬ道
口に出さずに
歩み入る
知ったかぶりを
脱ぎ捨てたくて
ことしこそはと

(じ150924)

おむすび

香川県の丸亀市と坂出市の境、讃岐平野にそびえる飯野山(422m)=写真=は、讃岐富士さらには「おむすび山」として親しまれているとか。 

宇宙塵

脱力した宇宙の隅っこで
シンデレラが掃除屋をはじめた
時間に取り残された舞踏会の
しりぬぐい
記憶と感覚にへばり付いた
宇宙塵が
散乱しはじめている
ただ在るというだけの
時空の底から
竜の眼玉のありかを探って
雑巾を掛ける

(じ151023)

塵

「宇宙塵」は、宇宙空間に散在する微粒物質。大きさはふつう10ミクロン以下。恒星間にあるものは低温度の巨星の大気、新星や超新星の放出ガスの中でつくられ、その雲は暗黒星雲として観測されます。太陽系内では、彗星の分解で生成されたり、流星として現われたりします。 

新春(5句)

犀川も戸隠山も寒靄

除夜の坂呆けし母と長命寺

禿頭に香煙浴びて初詣

去年今年つり橋ゆられゆらしつつ

手すき紙の背筋すっきり筆はじめ

(り170113改)

新春

長野市にある「戸隠山」は、海抜1904メートル。全山が凝灰岩質集塊岩からなり、のこぎり状の崖が連なっています。古来、山伏の修験道場として知られています。 

手水

一身上の都合で
歩き出していた
不埒な輩が
凛々しい一葉の
石像のある
小さな神社の
鳥居をくぐり
手水舎にて洗心
二拝二拍手
一拝 一葉の鋭い眼
気にしながら
ふっと呟いている

手水

近年の私の初詣は、『たけくらべ』誕生の地、龍泉寺町にある千束稲荷神社。真新しいキリリとした樋口一葉の像があります。 

元日

一ミリ幅のボールペンの線を
引きはじめる
ことしはちょっと太く
書きはじめる
朝からうしろに
煙が立っているから
御影石の橋を渡り
照り返る夕暮れの伽藍を
ゆるり横切り
心の劈開面を
一めくり
戸隠山の地主神
九頭龍権現
川ながれ立つ小波
犬でも連れて
そのままゆけば
それでいい

(じ160101)

権現

「九頭龍権現」=写真=は、九つの頭を持つ大蛇。ヤマトタケルが退治しようとしたものの、見つからずに疲れて居眠りを始めてしまいます。そこへ九頭龍が現われ、ヤマトタケルを一呑みにしてしまったとか。初詣の浅草寺で見かけました。 

大晦

ベンチのない公園で
座る場所を探している
降りるだけのバス
乗せたばかりの人力車
床屋の回転灯が
神の一撃で
灯を落とす
賽は投げられたまま
年をまた越える
離合集散ひと犬くるま
散らばったままの
言葉の切れ端が
時間の電線にひっかかっている
ちぎり取りつなぎ合わせて
得るものも失せるものも
憤りなく吐き捨てられ
むしり取れない
切り取り線だけが
鮮明な痕跡をとどめている

(じ151231)

晦日

晦(つごもり)は、月が隠れる日、すなわち月隠(つきごもり)が訛ったもので毎月の末日を指します。1年の最後の特別な末日を表すために、末日を表す「大」を付けて「大晦(おおつごもり)」あるいは大晦日と言うそうです。 

仙人

空気が尖がっている
そうだ 生きてるって
酸化還元脱臭反応
馬のうえかららっきょう摘んで
雲をまたいで飛んでった
御嶽乗鞍駒ヶ岳
そこまで登れば
そこから行ける
何も語らず
霞を喰らい
息もしないで
そこにある

(じ151209)

仙人

人間でありながら永遠の生命を獲得し、長生不死をとげるとされる「仙人」。「仙」という文字は本来、舞う様子や上昇を意味する「僊」です。天空に舞いあがるイメージがともないます。 

いつか芽を吹くと
楽しみを生き
いつか花ひらくと
楽しみに老いる
いつか旅に出て
いつも旅にある
ちょっと旅を識り
いつしか旅を想う

(じ151019)

旅

旅は「給(た)べ」の転訛で、他人に食を求める原義に発するといわれます。むかしは辛苦に満ちて、修行に身を砕く者だけのやることと思われていたのです。 

昇ってゆくときゃ
凧あげみたいに
風に揺られ
踏ん張って
風に乗ったら
押し戻されて
力んでみたら
逆さまで
乗っているのか
乗っかられてか
知らず知らずに
糸たぐられて
降りたくなっても
なりゆくままに
あっ
落っこちちゃった
ぷっつり
糸きれたんか

(じ151013)

糸

糸には適度の撚りが必要です。撚りは右撚りと左撚りに分けられますが、日本では右撚りが弥生時代からの特徴でしたが、近代的機械紡績では左撚りのものが多くなってます。

バトン

つなごうと走ってゆく
断ち切ろうとぶちかます
言葉のシグナル
心のバウンド
音のドリブル
光のバトン
パスは途切れたのか
まだ連なるか
まだ走れるのか
まだ生きているのか

(じ151120)

バトン

陸上のリレー競走で走者が手渡していく「バトン」は、継ぎ目のない木製か金属製の管で、長さ280~300mm、重さ50g以上とった規制があるそうです。 

かんむり

あなかんむりの空に窓
あめかんむりに雲や雪
うかんむりの家には室
おいかんむりの者は老
おおいかんむり覇に覆
くさかんむりの花や草
だいかんむりは奮に奪
たけかんむりで算と答
はつがしらは登り発つ

かむっていた冠の結び
ほどき始めるときかな

(じ160210)

冠

漢字の「偏」」「旁(つくり)」「冠(かんむり)」「脚(あし)」、漢字の4種の構成部分を併せて偏旁冠脚(へんぼうかんきゃく)というそうです。 

山眠る

吊橋に吊られて
山が眠っている
彩が覆い雪が舞って
山は眠っている
クリスマスソングが巷を覆っても
山は眠っている
生きるにはもう時間があるから
山は眠ったまま
死ぬにはまだ時間がないから
山は眠ったまま

(じ151216)

山眠る

山眠るは「臥遊録」の「冬山惨淡として眠るが如し」から、冬の山の静まり返ったようすをいいます。