Palabra

日々「言葉」をひろっています

クリスマスイブ

土蔵の壁に
へばり付いた
七色の電飾が
それでもと
聖夜を主張して
点滅している
月に黒雲の輪が
巻きついて
離れない
病床六尺
それでもまだ
居る

(じ151224)

クリスマス

イエス・キリストの生誕日がいつだったかは正確には分らないそうで、西欧各地で行われていた冬至祭を取り入れてこの日になったとか。 

雪あられ

てんぷらを揚げる音がして
雪あられが落ちてきた
ぱらぱらと歯切れよく
水と油の化かし合い
離れちまえば
ドーってことない
ふっきれそうな
気になった

(じ160129)

あられ

「雪あられ」は、白色か半透明な直径2~5mmの氷粒で、気温があまり低くないとき雪片や雨滴と一緒に降ります。堅い地面にあたるとはずんでは割れて、容易につぶれます。 

老い

ひとりでだらり
暮らしてた
ひとりで悲しみ
噛みしめた

ふたりの喜び
忘れてた
ふたりの心細さ
見つめはじめた

(じ151212)

老い

「孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる」(トルストイ) 

たまり

雪だまり
霙だまり
雨だまり
シャーヴェットに
サクサクの
足跡
大石良雄
踏んでいった
生きざまの
たまり

(じ160118)

大石

「大石良雄」の辞世の句は、良く知られた「あら楽し思ひは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし」のほか「極楽の道はひとすぢ君ともに阿弥陀をそへて四十八人」だとも言われているそうです。

宿り

寒気に
細胞が収縮してゆく
だからってわけでなく
暖炉の風が流れてゆく
冷めた心でも
頼って
夢破れても流れる
ものがある
たてがみを立てて
宿っている
ものがある

(じ151217)

暖炉

「宿り」は、住みかとすること。「花ちらす風のやどりはたれかしる我にをしへよ行きてうらみむ」(『古今集』巻第二、春歌下 ) 

時間に乗って
ここへ来た
空間を泳いで
そこへ行った
時間が始まってから
ここに生きてる
空間ができてから
そこに死んでいる
胎内にいたときから
時間と空間を跨いで
風は吹いていたんだ

(じ151210)

風神

江戸の奇談集『絵本百物語』では、風の神=写真、wiki=は邪気のことで、風に乗って彷徨い、物のあいだや暖かさと寒さの隙間を狙って入り込み、人を見れば口から黄色い息を吹きかけ、その息を浴びたものは病気になってしまうとされているそうです。 

だって

だってもう
そんな年じゃないっ
たってやってみたって
いいんじゃない
だってもうそんなんじゃ
だめだったってかってに
生きてみていたって
いいんじゃん
そんなもんだって
いったって
やってみんとわからん
じゃん

(じ151220)

だって

「だって」について大辞林には、過去・完了の助動詞「た」に助詞「とて」の付いた「たとて」の転。近世江戸語以降の語。撥音便の語の後では「だって」となる。くだけた話し言葉に用いる、とあります。 

冬眠

故郷へもどって芋を掘る
故郷へもどって月を見る
故郷へもどってもう居ない
親父と一杯やりながら
喧嘩わかれの日をおもう
生きてるときも
死んでる日々も
時間ながれるばかりでも
穴にじっと丸まって
冬眠に生きる熊でいる

(じ151024)

冬眠

クマは、過食して体内に貯めた脂肪をエネルギー源に「冬眠」=写真、wiki=中、摂食、糞、尿は一切しないそうです。寒さに耐える恐るべき生理機構を内蔵しているものです。 

グード図法

かきかじり
でこぼこに果肉
歯のかたち
みかんむき
グード図法の
世界地図
りんごの皮を
むいてゆく
いつまでも
とぎれないように
いつまでも
ほどけないように

(じ151111)

グード

「グード図法」=写真、wiki=は、緯度40度44分を境に、低緯度地帯をサンソン、高緯度地帯をモルワイデ図法で描いて合成した正積図法。ひずみ是正のため海洋部分に断裂を入っています。1923年に米国のJ.P.Goodeが考案しました。 

討ち入り

志って言葉を
知った日があった
きゅっと前を見て
ちょっぴり高まるもの
感じていたはずだった
志なかばで死んだ
友がうまれ
志なかばを生きて
きたのだろうか
と思った
そば屋で一杯やったら
そう 討ち入りだ

(じ151214)

討ち入り

討ち入りのとき裏門の大将をつとめた大石内蔵助の嫡男、主税良金の辞世は「あふ時はかたりつくすとおもへども別れとなればのこる言の葉」。享年16でした。 

師走空(5句)

天井は雲の底なり枯野原

爽快な孤独は愉し冬星座

万国旗そ知らぬ顔や師走空

向き合ひてほうけし妻夫咳こぼす

年暮るる老母入れ歯を探しをり

(り1803)

師走

「師走」の語源については、師(僧)が読経などの仏事を行うため忙しく走り回るから、という平安時代からの説(「色葉字類抄」)がありますが、これは必ずしも言語学的に根拠があるものではないようです。当時はすでに語源ははっきりしていなかったことになります。

独楽

沈む船に乗りながら
あしたにメールを
打っている
ことしも渡り鳥が
集まってきた
くつしたはいて
冬を越せ
やっと覚悟ができたから
ブライドなんて
もう捨てた
地球は軸が傾いた
ひとつの独楽に
すぎぬから
転ぶか浮くか
しれやせぬ

(じ151028)

独楽

「独楽(こま)」は、独楽(どくらく)と読めば、自分ひとりで楽しむことの意になります。「独楽の樽枕にいかなる夢を結ぶかは知らず」(平賀源内作「風流志道軒伝」) 

カミオカンデ

ガムをかみ過ぎ
顎をへとへとにして
チョコレートの島で
糸を垂らし
幻影退治をはじめた
釣ろうったって
釣り切れない
まぼろし
ただ自然体で
ひっかかるのを待っている
スーパーカミオカンデが
ニュートリノを拾うように

(じ151206)

カミオカンデ

「スーパーカミオカンデ」は、宇宙から飛んでくる素粒子ニュートリノを観測する、神岡鉱山の地下千メートルにある装置。直径39m、高さ41mのタンクの内壁に光電子増倍管と呼ばれるセンサーが1万本以上ついています。 

冬花火

季節外れの
記憶の花火が
ぶちあがる
悪いやつはドカ~ンと
でかい音をあげて
いいやつはスコ~ンと
まぬけな輪を描いて

すかすかの海馬体の
灰白色の夜空に
ぶちあがる

(じ151123)

冬花火

花火というと夏というイメージがしますが、空気が澄んだ冬も格別な味わいあります。お台場レインボー花火=写真、wiki=のようにクリスマスイルミネーションのコラボも人気のようです。 

情熱

墓石で見かけた
濃緑の苔が
胸腔にへばり付いている
クロレラ 抹茶 葉緑素
翡翠に絡まる鞭毛藻
夏の蛍の尻のさき
みるみる禿げる夢の皮
濃緑の川中島には
いつものように犀の川
濃緑の胆嚢に収まっていた
凝縮された情熱が
ぽとんと零れ落ちてゆく

(じ151104)

鞭虫

「鞭毛藻」=写真=は、鞭毛を有して運動する単細胞藻類の総称。色素体中にクロロフィルAを含んでいて、光合成を行い分子状酸素を放出します。 

杭を打っている
わたしの乾田に杭を打っている
悔いを打ち込んでいる
ドボドボの湿原に
杭を打ちつけ
悔いを打ち込んでいる
稲の立たぬ泥田に
悔いを埋め込んでいる
よく響く杭を打ち抜いている
誰も寄せ付けない裸田に
ひとり杭を打っている
悔いを打ちつづけている
いつまでも舌足らずな
田植え歌をうたいながら
杭を打ちつづけている
わたしの在り処に
悔いを打っている

(じ151026)

杭

文化庁によると平成18年度の「国語に関する世論調査」で、「出る杭は打たれる」を使う人が73.1パーセント、「出る釘は打たれる」を使う人が19.0パーセントだそうです。

「白首」(10句)

蹴上げれば枯葉天狗の如き舞

生きづらき巷に盛らる落葉搔

吊橋に吊られしままに山眠る

彼の国の顔で水鳥戯れり

衛星は軌道離れる月冴ゆる

白首の練馬大根引き抜けり

狩人は戻り飯場の主となり

大根を角材として食とせり

凍鶴やいのち一つの点となる

鍋焼や天に一筋息を吹き

(り151213)

白

「白首」(しろくび、しらくび)は、おしろいを首筋に濃く塗りつけたひと、下等な売春婦のことをいいます。小林多喜二の『蟹工船』の中では「ごけ」と振り仮名されています。 

空から落ちて
溜まってゆく
生まれてからずっと
溜まりつづけている
地面すれすれのところまで
降下して息をする

(じ151105)

息

古代ギリシアでは息を「プシュケー」と言い、この語がやがて命や魂まで指すようになりました。日本語でも「いき」から派生して「いきる」が生まれたとか。 

のぞんでいる道
のぞまれてきた道
のぞいていた窓
のぞかれていた窓
のぞみをかけて一歩
のぞみたたれて二歩
のぼりきりたい坂
のぼりきれない壁

でも、のぼってるよ

(じ151107)

坂

長崎、神戸、小樽など、天然の入り江に発達することの多い港町には、坂がたくさんあります。東京の港区には、末尾に「坂」のつく通り名が80以上あるそうです。 

地図

ああ きょうも世界地図は動いている
でも とまったままで見ようとしない
ああ けさもお天気地図の等圧線
でも あすは野となれ山となれ
ああ こんやも星空マップは瞬いて
でも また一つ消えてった
ああ あしたも東西なかよしマップ
でも 飛行機雲が引き裂いた

(じ151106)

地図

初めての近代的世界地図帳はフランドルのオルテリウス(1527-1598)が1570年に刊行した53枚、70地図から成る「世界の舞台」=写真、wiki=とされます。メルカトル (1512~94) の作成事業に刺激されて自らも地図帳作成を始め先に完成したとか。 

寒卵(7句)

爆弾の顔して澄ます檸檬かな

土踏まず踏んづけ歩く刈田原

躓きつつつつと歩む寒すずめ

板チョコの割れる音して冬来る

鷹匠の髭はさほどに濃くあらず

洗濯の硬き湿りや冬ざるる

骨の無き輩でありぬ寒卵

(り151112)

寒卵

「寒卵」は、寒中に産んだ鶏卵。滋養が高く、日もちがいいとされます。〈寒卵薔薇色させる朝ありぬ〉(石田波郷)

次郎柿

ジュピター
木星みたいな質量感の
ナシ豊水が
いつもの紅
纏った地球一の
林檎ふじと
ゴツン
ちょっこり頭をぶつけて
牽制しあっている
ずんぐるむっくりの次郎柿と
のっぽな筆柿が
ゴツン
噛み合わない喧嘩をはじめた
呆けたバアさんが
ガブリ
柿の一個に食らいついた

(じ151010)

次郎柿

弘化元年(1844)、遠州森町の松本次郎吉は、大田川の決壊に伴う役夫をしていて柿の幼木を見つけました。自宅の裏庭に植えると実をつけましたが、味が悪くて見向きもされません。明治3年(1870年)、火事でこの柿木は焼けてしまいますが、春には新芽を吹き、実を結んぶと最高においしい柿になっていたそうです。 

焼いも 

ちょぴり焦げのくっついた
さつまいもの薄い皮を
ヒンむきがぶり
アッツアツ
むくのもめんどう
皮ごとほっこり
きょうが終わる
ルソン宮古に種子島
南蛮渡来の薩摩には
西郷隆盛ぎょろめがお

(じ151020)

いも

江戸の町に焼きいも屋が現れたのは、1793(寛政5)年の冬のこと。本郷の木戸番が焙烙(ほうろく)で蒸し焼きにしたいもを売り、「八里半」と書いた行灯を看板にしたといいます。

きょうもしらっと
落着き払い
雲が寄せれば
寄せるまま
どうしてそんなに
冷静でいられるんだ
お月さんよ
お前さんの薄い乳を
斧の柄で魔女に
搾り取ってもらおうか
それとも魔女の小便
ひっかけて
雹でも降らせて
もらうとするか
燃えている
復讐に燃えている
お前さんの顔
見たいんだ

(じ151027)

月

月の重力は地球の約6分の1。大気がないので昼夜の温度差が大きく、月の赤道付近では昼110℃、夜-170℃と200℃以上の差があるそうです。 

水がみち水はひく
潮がみち潮はひく
財がみち財はひく
人がみち人はひく
血がみち血はひく

地にみち地をひく
空にみち空をひく
心にみち心をひく
夢にみち夢をひく
道にみち道をひく

鳥に生き鳥にしぬ
人も生き人をしぬ
野を生き野にしぬ

(じ151006)

野

「野(の)」は、農耕や営林といった経済的活動にほとんど利用されていない比較的平坦な土地のこと。「野(や)」なら、体制から離れた立場ということになります。 

隕石

抱えきれぬもの
抱え込んで
山に入る

背負いきれぬもの
背負い込んで
山に入る

抱え込んだもの
みんな放ちに
山の中

背負い込んだもの
みんな降ろして
山の中

抱え込んでも背負っても
みんな御破算
山を出る

荷物をくくり
腹くくり
山を出る

ああ 何か遠くへ落ちてゆく
ああ 何か遠くから降ってくる

(じ150929)

隕石

宇宙から大気中に突入して地表に落下した「隕石」。これまでに確認されている最大の隕石は、1920年にドイツ領南西アフリカのグルートフォンテーン近郊で見つかったホバ鉄隕石=写真、wiki=で、直径2.7m、重量は約60tだそうです。 

泥田坊

ぬかった田んぼの水面が
月光を跳ねている
ダイヤモンドだよ

ずたずたの表面張力
堕胎の土塊 女神が
いや泥田坊が棲みついたんか

(じ2015/10/02)

泥田

「泥田坊」は、泥でできた老人のような風貌で田んぼに現れる妖怪。江戸の画家、鳥山石燕の画集「今昔百鬼拾遺」=写真、wiki=では、一つ目で指が3本、泥田から上半身を出した姿で描かれています。

さか上がり

大気の海へふらっと
踊りに出かける
雲の段違い
平行棒にぶら下がり
さか上がりをしてみる
幻を振り払い
街のざわめきを飲み込んで
やぁ~ちょうどいま
雲も踊り始めた

(じ150923)

逆上がり

鉄棒を両手で持って逆上がりの構えを取り、駆け上がることで逆上がりの感覚を習得できる「さか上がり練習器」=写真、wiki=というのもあるそうです。

カタツムリ

落ちて来たなら
拾いにゆこう
飛んでゆくなら
跳びのって
ひとり居るなら
二人でゆこう
いまがここなら
もがいて居よう
死んでいるなら
活かしてゆこう
歩けなければ
這いつくばって
カタツムリのように
カタツムリの速さで

(じ151022)

カタツムリ

マハトマ・ガンジーに「善きことはカタツムリの速度で動く」という名言があります。カタツムリの速さは時速6メートルほどだそうです。 

時間

大きなお尻の道祖神が
苅田を背に座っている
母屋に灯り
鬼瓦の影
土蔵にひびわれ
そこに産まれ
食うて生き
ドットを打つ
継いで
また打つ
止まっているように
時間は動く

(じ151003)

時間

仏教的な「時間」の一つの特徴は、諸行無常とされます。一切のつくられたものは時間の推移によって生滅変化し、常なることはありません。

不時着

こころのすみかをうろついて
地に足でも着こうか
とまどいながら
宇宙のすみっこで舞っている
不安の海に
自由落下している
蝶が舞うには
時季はずれ
もうそろそろ
雪が来そうなんだ
身も心のなかも
縮こまって
洩れだしそうには
ないけれど
浮き上がり
じき舞い落ちて
泣きっ面に不時着する

(じ151025)

不時着

トレーラーなどが急ブレーキや急ハンドルをした際、運転席と荷台が「く」の字に折れ曲がる現象をジャックナイフ現象というそうです。「不時着」時にはジャックナイフ現象を防ぐため、ある程度からだを屈めておくほうがいいそうです。 

稲架

稲架(はざ)がかかってゆく
背丈を越えてかかってゆく
梯子でまたぎ
刈田に稲架が組まれてゆく
砦を築くように
稲架が組まれてゆく
稲架の群れに群がって
風が留っている
何も言わずに
稲架の道を
歩いている
稲架と群がり
生きている
稲架と群がり
死んでゆく

(じ151015)

稲掛

「稲架」は、刈り取った稲束を乾燥する架干し用の木組み。稲刈り直後のもみには20%の水分が含まれていますが、架干しするともみの水分は15%程度まで減少して脱穀がしやすくなります。 

ねつ造

とりあえずホッチキスで
綴じ合わされて
帳が降りた
きのうときょうの
境目あたり
深夜ラジオは
流れつづけている
黎明がきざすのを察し
ほどほどに摩耗させて
こさえた握槌やら握斧やら
あれこれ剥離痕とともに
旧石器の地層に植え込んでいく

(じ151114)

ねつ造

日本の前・中期旧石器時代の遺物などとされていたものが軒並み、発掘調査に当った藤村新一氏によるねつ造と発覚した旧石器発掘ねつ造事件。2000年11月5日付毎日新聞朝刊の衝撃的なスクープでした。

心境

雨が雪に
雪は雨に
融けて固まり
夢うつつ
心境の境目を跨いで
吹雪鳴り出す

(じ2015/11/28 23:20)

心境

南宋の儒学者、陸象山(1139-1193)は、「宇宙は便ち是れ吾が心、吾が心は即ちこれ宇宙」、「心は即ち理なり」としました。「心」の境は、宇宙の境ということになります。 

二の酉

熊手が夜空に
顔を向け
歩いてゆく
空にそっぽ
向きながら
少年は肩車
小雨そぼ降る
酉の市
歩道を埋める
出店の長屋
ドングリ同士の
たけくらべ

(じ151117)

二の酉

きのう18日は二の酉、今年、酉の日はもう一度あります。「二の酉やいよいよ枯るる雑司ケ谷」(波郷) 

寒すずめ

電線がたわんで
空気を跳ねて
留まっていた
すずめが
目を醒まし
跳び立った
雲のマットを
すみかとするのか
生命の
起承転結が
またはじまる

(じ151113)

すずめ

もともとは食鳥としての雀を寒すずめと呼んだのだそうです。「二羽となりて身細うしけり寒雀」(臼田亜浪) 

悔恨

バリバリとひび割れて
板チョコ
こころに甘露

来る日を待っている
来た日を恨んでいる

(じ151122)

悔恨

日本のチョコレート製造は、1899(明治32)年、森永商店(現森永製菓)によって始まります。当時は玉チョコや棒チョコが一般的でしたが、1909(明治42)年に森永が日本初の「板チョコ」の生産・販売をはじめました。

新蕎麦

遠くへ離れてしまったのか
寄らず離れてきたのか
取り残されてしまったのか
ひとり居るだけなのか
いまに置かれた
ちっぽけな自在
揺り動かされ
宙ぶらりんの
存在論をぶっている
蕎麦を打っている
ただタンタンと
新蕎麦を食っている

(じ151115)

新そば

秋に収穫された蕎麦の実を使った「新蕎麦」は、「秋新」とも呼ばれます。“夏蕎麦は犬さえ食わぬ”という諺もある「夏新」に比べても、香りが高く、味も格別です。 

落花生(5句)

こだはりのうどん打ちあげ秋気満つ

落花生剥くが仕事や母惚く

稲雀理屈ありげに集まれり

一夜にて夜店陣取る酉の市

埋火や太郎次郎は要介護

(り)

落花生

落花生の組成は、100グラム中タンパク質25グラム、脂質47グラム、糖質16グラム、無機質ではカリウムの含量が比較的高く、ビタミンはB1、B2のほか、特にナイアシン含量が多く、栄養的に非情に優れた食品です。

公園

結ばず閉じず
ベンチ
淡淡と老いてゆく
空との距離を
測りながら
もとめず生きてゆく
持たずに埋もれてゆく
枯葉の舞う通奏低音が
響いている

(じ151124)

公園

古代ギリシアには、バトロン(bathron)という2人以上が座れる背もたれのない腰掛けがあったそうです。哲学者やソフィストの講話を聴講する学生らが授業に使う「ベンチ」でした。 

犀川

晩秋の陽ざしが
束になって
刈田つらなる
川中島の
三角地帯を
刺している
死んでいった
ものたち
生き残って死んだ
ものたち
見下ろしている
戸隠連山
遠いアルプスの
深まる雪渓

犀川を渡っている
蹄の音を
遠く聞きながら
渡っている

(じ151126)

犀川

長野県北部を流れる「犀川」は、千曲川最大の支流で全長153km。松本市北東部で奈良井川と梓川が合流して犀川となって北流し、川中島付近で千曲川と合流します。 

記憶の花火

季節外れの
記憶の花火が
打ちあがる
悪いやつはドカ~ンと
でかい音をあげて
いいやつはスコ~ンと
まぬけな輪を描いて

すかすかの海馬の
灰白色の夜空に
ぶちあがる

(じ151123)

記憶

記憶形成に重要な脳の「海馬」=写真、wiki=は、ギリシャ神話に登場する海神ポセイドンがまたがる海馬の前肢の形に似ていることから名づけたとか。日常的な出来事など新しい記憶は、海馬の中で一度ファイルされて整理整頓され、その後、大脳皮質にためられていくようです。 

酉の市

熊手を掲げて歩いている
熊手を囲んで手を鳴らす
熊手に届かぬひとのゆめ
熊手を見上げ生きている
熊手引っ掛け死んでゆく

(じ151129)

酉の市

今年は、12年に一度の酉年の「大酉の市」。そして、火事や異変が多いといわれる、11月に酉の日が3回ある三の酉です。

山へのぼってゆく
山が叫んでいる
山が囁いている
山の声を聞く
山がすこし動いた
山が木霊して
山に雲がひっかかった
山から煙が上っていく
山は生きていたんだ
山は死んでゆくんだ
山の呻きを聞いていなかった
山は笑っていたのに

(じ151201)

山

「山」は死者の行く世界だ、という山中他界観は、日本はじめ世界各地にみられます。ヨーロッパには、英雄は死なずに山中に隠れていて、民族の危急のときにはよみがえって民を救うという伝説もあります。 

郷愁

みんな一本の
三ツ矢サイダーから
溢れだしていたんだ
淡い祭り
蒼いトンガリ
気まぐれな七色の夢
怒涛のなみだ
そして
もどって来はしない
あのとき

(じ160119)

サイダー

「三ツ矢サイダー」は、兵庫県川西市平野の鉱泉からくんだ炭酸水の意の「平野水」という商標で1884年に発売され、その後、三ツ矢シャンペンサイダーとなり、1968年にいまの名になったそうです。

地道

騎馬の群れが
地を裂いてゆく
地にひづめ
響く響く
乾いた道
報われることのない荒地
納豆巻に巻かれながら
頑なに渡りゆく
待ち人のない果て
つづくだけの地道

(じ160124)

地道

天道が天の道理なら、地道(ちどう)は、大地にもともと備わっている性質・法則、ということになります。 

最後のほそ道

空白の一週間で
減らすはずだった荷物が
また一つ増えた
残りの一生は
直線距離を行きたいけれど
やっぱり迷走してゆくのだろう
精根尽き果てたってこと
あったのだろうか
よけては悔いに頭ぶっつけて
けっきょく魅かれるまま
いくしかないのだろうか
曲がりくねった最後のほそ道

(じ160206)

ほそ道

芭蕉の最後の句として知られる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」。「なほかけ廻る夢心」とするか、「枯野を廻るゆめ心」とすべきか、病床でなお推敲を重ねていたそうです。 

仕事

柿がテーブルの上に立っている
蜜柑が卓袱台に座っている
どちらを手に取り齧ろうか
アルツハイマー病の母が
虚ろに眺めている
透明に選んでゆく
きょうの仕事

(じ151204)

仕事

「アルツハイマー病」は、1906年、ドイツの精神科医アロイス・アルツハイマーが、嫉妬妄想などを訴えるアウグステ・データーという女性の症例を学会で報告したのを機に、病気ととして扱われるようになりました。それまで認知症の大半は、梅毒によると考えられていたそうです。 

コーバン

歯痛の街角を
曲がったところで
ミャンマーの旅人に
道を聞かれた
《コーバンは
どっこうですか》
交差点を右に回って
ガンと寒風にぶつかって
真っ直ぐ行けばそこに
屯している
ひりり
滲み徹ってゆく

(じ151218)

コーバン

1874年(明治7年)に東京警視庁が設置され、屯所(警察署)から巡査(邏卒)を「交代で立番させる」ようになりました。それが「交番」の始まりだそうです。 

石ぼとけ(5句)

生国の貌で水鳥戯れり

一陣の風追ふ鷹や古戦場

から風や耳半分の石ぼとけ

新聞の見出したてよこ置炬燵

とろとろと冬至南瓜はまろまりぬ

(り161222)

石ぼとけ

人情や風流を解しない人、融通のきかない人をたとえて「木仏(きぶつ)金仏(かなぶつ)石仏(いしぼとけ)」ということもあります。