Palabra

日々「言葉」をひろっています

自由

石榴口

石榴口をくぐった奥には
風呂の暗闇
声かけあって
裸と裸

 常にたくを風呂といいて
 あけの戸なきを石榴風呂とは
 かがみいるとの心なり
 鏡を磨くに石榴の酢を用ゆ(嬉遊笑覧)

石榴口をくぐった後は
醒めるときまで
生の暗闇
一期一会の人と人

(じ150511)

石榴口

「石榴口」=写真、wiki=は、江戸時代の銭湯で、湯船と流し場とを仕切る板戸のこと。湯がさめず、蒸気が逃げないためのもので、お客は板戸の下の低い入口をくぐって薄暗い湯船へ入りました。語源は、ザクロの実の汁で鏡をみがいたため「かがみ入る」としゃれたのだとか。

麦わら帽子

瑞穂の国に
稲穂たれ
携帯電話に
首部たれ
コンビニ袋
ぶら下げて
畦を行き交う
麦わら帽子

(じ150705)

麦藁帽子

日本の「麦わら帽子」は、原料の麦わらを漂白、あるいは染色して平たくつぶした7本の茎を、真田ひものように編んだものを材料に、専用のミシンで渦巻き状に縫い合わせて作られます。

アルキメデス

いくら三角測量を繰り返しても
計りきれない過去未来形に
ダウンロード
している
みちのくの泥んこ相撲
防潮堤のアルキメデス
曙光の国ギリシャびとの
開き直り めぐり旅
つながり 途切れて
とりとめなく 海図

(し150706)

Archimedes

「アルキメデス」(前287-前212ころ)は、古代ギリシアの数学者。入浴中に浮力に関する原理を発見し、服を着るのを忘れて「わかったぞ!」と叫びながら裸で通リへかけだしたという話や、てこの原理を見つけて「私に立つ場所を与えるなら、地球をも動かそう」と言ったという話などが伝わっています。

大三角形

土を磨いてゆく 光の
脱臼。走りすぎて
夜。アンドロメダの
吐息。夏の大三角形に
置かれた星々の汗。ベガ
アルタイル デネブ
おりひめ ひこぼし
アルキル基 ボケたばあさんも
感じてくれるような
言葉をさがす
それだけの 旅

(じ150727)

大三角形

「夏の大三角」=写真、wiki=というのは、「はくちょう座α星(デネブ)」「わし座α星(アルタイル)」「こと座α星(ベガ)」の3つの星を結ぶ細長い大きな三角形。ベガとアルタイルは、七夕のおりひめとひこぼしにあたります。

カンポ・デ・クリプターナの形容詞

ぼくが旅人となって
運ばれてくるまで
風車は回っていたのだろうか。
たわしのようなかっこうで赤茶色の地に群れる
濃緑色のオリーブの木々を揺らす風
の力で押し動かされて
怯えることもなく
まわりつづけ 時に
闘いを挑んだラ・マンチャの男を
こともなげに跳ね飛ばして
乾いた平原の夢想を
蹴って掻き消し
ときには豹の歯茎のような夕陽に染まって
歴史のなかの名詞をかたっ端から
取り払い空洞に
葬り去って
形容詞だけのトレモロを奏でていたのか。

言葉が力を失ったのは
風車が止まってしまったから それとも
奇矯な男の生きる隙間が
塞がってしまったからなのか。
とり戻せないならせめて
風に吹かれる形容詞を寄せ集めて
消え去るまでに書きとめておきたい
のだけれど。
願望でしかない未来なんて
夢のなかの目覚め
それとも牢獄での
くじ引き。
白いカンポ・デ・クリプターナでぼくは
烏賊墨に染まった口で牛の尻っぽを
ほおばっている。

(じ150626)

Campo_de_Criptana

「カンポ・デ・クリプターナ」(Campo de Criptana)=写真、wiki=は、スペイン中央部、カスティーリャ=ラ・マンチャ州の自治体。ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』で、主人公が巨人と勘違いして突進した風車群のモデルとされています。

祭り

たんぼ横切り
タンバリンたたく
畦道わたり
カスタネット鳴らす
お天道さまは
シンバルの嵐
村の杜には
蝉時雨
どどんがどんどん
どどんがどん
天神さまに
奉納太鼓

(じ150710)

三社

「祭り」(マツリ)は、マツル、マツラフという動詞で上位のものに奉仕する意味の言葉の名詞形。マツはマチと語源は同じで、見えないものが見える場所、接触しうる場へ来るのを歓待する意味をもつそうです。

円陣

毎回ランナーを出しながら
追加点を許さず粘投する投手に
視線を投げたり眼を伏せたり
いつもの反復運動をベンチの奥で繰り返す
青き北軍の将。僅差のゲームは
浮いては退き尽きては蘇りながら
波乱含みの大詰めに入っている

私はビールに濡れた口蓋で二度三度
枝豆をはじかせている。直球で押し切るか
フォークを落とすのかそれとも
大きく曲がる高速スライダーかなんて
どんでん返して打球の描く放物線は
網膜へと投影されて不透明な
推測だけがネットを泳ぐ

最後の攻防を前にしてマウンドを囲み
円陣が組まれはじめた。
内野も外野も敵も味方も控えも観客も
敬礼の儀仗兵までもがぞろぞろと
北緯三八度線に沿って弧を描く
南軍は赤いカーペットを敷いて
ベンチの奥から北の将を招き入れてゆく

敵 味方 分断の境目に沿って
マウンドを囲んでゆく見果てぬ円陣 
そしてマウンドの真ん中には白球
いや一触即発のスイッチだろうか。
晴れ渡った球場には核の傘
円陣の境界をぴょんと
敵将同士が手をつないで越えてみせる

タブレットの前 口にした枝豆が跳ね
屈曲して歯茎に捕らえられる
北緯三八度のドロー
いかさまには決着はつかないのか。
ふっと枝豆の舌触りをたしかめてみる
闇に溶けきれない音と光の泡沫の舞う
九回の攻防はまだつづいている

(思8月)

円陣

スポーツでよく見られる「円陣」は、心理学でサイキングアップという、戦う緊張状態を作る行為とされます。選手たちの意識を統一するとともに、気持ちを高揚させる心のスイッチの役目も果たしているのだとか。

カオス

つかみどころのな虚空に
虫取り網を掛けてみる
秩序をとどめぬ
脳のカオス
それが宇宙なのだ
老いて
ゆき場の失せた
わが母音
漂う

(じ150715)

虫取り

「カオス」は、宇宙が生成する前の原古に存在したとされる混沌の状態をさすギリシア語。原意は、大きく口を開けた虚の空間を意味したと考えられます。

和太鼓

散弾銃の雨が地を
打ちはじめた
張りつめた和太鼓の皮を
叩きはじめた
腹の空洞に
鳴りはじめた
まっ白な頭のなか
響きはじめた

(じ150708)

和太鼓

戦国武将が軍の統率をとるため、陣太鼓を用いましたが、「和太鼓」=写真、wiki=には、人間の心臓の鼓動にシンクロすることで、士気を鼓舞する働きがあるという説もあるそうです。

どうとんぼり

すれすれの道
あやふやの涯
どうとんぼり
かぶきちょう
やらずもがな
列車はいつも
どこまでゆき

(じ150716)

道頓堀

「どうとんぼり(道頓堀)」=写真、wiki=は、大坂城築城で功を上げた安井道頓らが水運の便をよくしようと、1612年に開削。工事中の1615年に大坂夏の陣で道頓が戦死したのを哀れんで大坂城主が堀をこう名づけたそうです。

釣人

まだ釣っている
川の流れに足を掬われながら
まだ糸を垂れている
何も釣ったことのない針のついた
竿にしがみ付いて
川の流れに身をまかせつつ
かろうじてまだ立っている
それでも獲物を追っかけている
釣り糸をひとり垂れている
釣れたためしなき竿を
つっ立てている

(じ150711)

pescador

「釣りに六物あり、ひとつ、具わざれば魚得べからず」と、古くから言われているとか。六物(りくぶつ)とは、竿、糸、鉤、オモリ、ウキ、餌、だそうです。

八重垣

だってまだ
意気地悪げな顔のへり
のぞかせながら
どろんと幾重にも
かさなっている
塗り込められた
八重の雲
かいくぐって
 八雲立つ
 出雲八重垣
 つまごみに
 八重垣つくる
 その八重垣を
かいくぐって
ぬけ出てみれば
見えてくるのだろうか

(じ150817)

八重垣神社

「八重垣」は、幾重にも巡らしたかきね。スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後、「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」と詠んでクシナダヒメとの住居を構えたとされます。これにまつわる八重垣神社=写真=は、縁結びの神として知られています。

足掻

悲しみで花が咲くもんか
とガナったところで
起上り小法師じゃあるまいし
転んだらまた起き上ればいい
なんて言ってられる年じゃない
崖っぷち
転んだら足腰折ってもう二度と
立ち上がれなくなるのがオチ
でもまあ寝たままでも
寝返り打てなくなっても
やれることはあるってサ
痛い痛いと呻きながら
悪態吐いて
進めないから
やろうとする
最後の足掻
子規やハイネみたいに
血反吐といっしょに
辛うじての言葉を吐いて

(じ151009)

馬

足掻(あがき)は、。馬などが前足で地面をかくこと。そこから、自由になろうとして、体をばたばたさせる・もがく、という意味になり、転じて、状況を打開しようとして、あくせく努力をするという意味に。

友は逝った㊦

死ぬことも生きることも知らずに女子大生が
腐食しかけた惨殺死体で見つかった日に
友は逝った
真夏日続きのクソ暑い日に
友は逝った
メニエール病が慢性化したタヌキがもはや化ける気力さえ失ってしまった時代に
友は逝った
ひょっとしたら核弾頭が装着されたミサイルが北から飛んでくるかもしれない空白に日に
友は逝った

ヒトの手で服を着メシを食いかかえられて風呂につかりヒトの足で便所に通いシリを拭き愛を交わしていた
友が逝った
口で淡淡とパソコンを操りドレイにしていた
友が逝った
誰よりも早くニュートリノの微かな質量を感じていたにちがいない友が逝った
もはや帰ってこなくなった伝書鳩の飛行ルートをずっと眺めていた
友は逝った
鳥になった恐竜の滅びを見つめながら
友は逝った

(宇150906)

カミオ

「ニュートリノ」は、物質を構成する素粒子の一つ。質量はゼロと考えられてきましたが、神岡鉱山内にある実験施設スーパーカミオカンデ=写真、東大=で、1998年、質量がある証拠が見いだされました。

友は逝った㊤

筋ジストロフィーの
友が逝った
同い年の
友が逝った
いっしょにむかし寝泊まりしていた
友が逝った
オマエなんで障害者になったんだ
と口が滑ると
父にすすめられましてとジョークで流した
友が逝った
五年前から人工心臓をつけていた
友が逝った

ボランティアに支えられて街で暮らしていた
友が逝った
四十二歳で
友が逝った
十二歳で発病してから僕の人生は半分だけと思っていた
友が逝った
電動車いすが足だった
友が逝った
静かに
友は逝った
最後の最後まで生き抜いて
友が逝った
最後の最後まで迷惑をかけ抜いて
友が逝った
僕が知らない間に
友は逝ってしまった。

(宇150903)

車椅子

筋ジストロフィーは、遺伝子が変異することによって筋肉の性質が変わったり、壊れたりする病気。日本の患者数は、約25000人と推計されています。

ドーパミン

うっと突く
と かかった襞が
捲れ引き攣る
脳細胞でうまれた
パルスが細胞の連結部
シナプスにたどりつく
細胞の隙間に一気に放たれるドーパミン
渦になってひろがってゆく
エ・ク・ス・タ・シ・ー
をさえにかかる
トランスポーター
(アミノ酸が619個連なり細胞膜を12回
貫いてアミを張りドーパミンを捕まえるものも)
ほたまたこれに
ふたをしてゆく
コカインのやつ
溜まる たまる
ドーパミン
快楽中枢をはじき
いく いく いく
月の魔力 地磁気あらし
仕掛けは定かでないけれど
愉悦と境を接して
脳に内在しはじめた
死が。

激しい攻防のさなか
ぼくの第1回目の
脳死判定がはじまる。

(利150829)

ドーパミン

ドーパミンは、神経伝達物質の一つ。その働きは、運動機能の調節、認知機能の調節、動機づけ、快楽など多岐にわたり、快感を生み出し、意欲的な活動を実現する重要な物質ともされています。

生痕

山のいただきのほうから
霧が降りてくる
扇形に延びて
広まって
隠れてゆく
  身を潜めている
隠されゆく
  足跡
隠してゆく
  生痕

時間は流れているのだろうか
霧が山肌を纏っているあいだも
後ろから前へと
後ろから前へと
林檎はこんなに顔を
赤らめてきているのだから
時間は進んでいるのだろうか
砂防ダムで食い止められたあいだも
濁水を過去の滝つぼへと
流しつづけているのだろうか

(じ150918)

足跡

「生痕」は、足跡、尾を引きずった跡、貝が岩や木片にあけた孔、巣、巣穴、排泄物、胃石など、生命現象、生活現象として堆積物に残されている化石のことをいいます。

シャコンヌ

息の絶える前の吹雪の夜
肩書きを捨てて
地下をアジトにするオーケストラに加わった。
摩耗する近未来に向かって
ギターを弾く。
ほんとは独りで無伴奏シャコンヌを
かき鳴らしたいのだけれど
ここでは音の破片はいつでも
拾い集められ回収されて
いつのまにか指揮者の見えない
オーケストラに
はめこまれている。
もしもクオークやレプトンを
とてつもない根気で拾い
集めていったのなら
ぼくはできるのか。
数兆億の塩基対をつなぎ合わせていったなら
ぼくのからだなのか。
それなりの言葉を連ね合わせていったなら
それは詩なのか。
もとめたってうまれ出ず 言葉が
過去の散弾のあとでしかないのなら
人生は棒にふるしか
ないってことなのか。
ナタデココを食いながら
南極の氷の部屋で越冬する意味が
どこにあるのか。

蛇の皮をしゃぶって
ぼくは育ち
猪肉のすき焼きを食いながら大人になった。
大気圏に降りそそぐ
宇宙線シャワーを逃れて中年になり
ロースカツ弁当を食っては
仕事をしている。
開きまくったパソコンのファイルを
画面の「ゴミ箱」に捨てさると
今日は終わる。こんなぼくのなかでも
核は分裂している。
細胞内にできた微小管が
放射状に伸びていって紡錘形の糸巻きになった
かとおもうと染色体は両極に
引き裂かれる。
カット7とかいうタンパクが微小管上を
モノレールカーのように往復して染色体を
引き裂き押しやりばらばらに
分裂分裂分裂
を続けた細胞のにぎりめし
であるぼくのからだはたわごとの細胞分裂で生まれた
孤独の原子核を寄せ集めたにぎりめし
でもあるはずでどっちにしても
ころころっとにぎりめし
果てにはいずれ時空の歪み
ブラックホールにでも
吸い込まれるだけなのか。
シャコンヌの四次元の重奏に
引かれて。

(じ150826)

シャコンヌ

「シャコンヌ」は、スペインが起源の野性的、官能的な4分の3拍子の舞踊。語源はバスク語の chocuna (「ひどい」の意)によるそうです 。 17−18世紀に愛好され、組曲などに取り入れられました。J.S.バッハの「無伴奏バイオリン・パルティータ第2番」(1720年)終楽章が有名です。

いも

雨で目覚めて
わき出たいまに
開き直りの荒野が
ぽかっと口を開けている
為される前の愛おしい混沌
何でも植えられそうだが
何も育ちそうもないこの土地に
破れかぶれの行き斃れ
暇にまかせてひとつ
いもでも植えてみよう

(じ150818)

いも

かつては「いも」といえば、東北の一部ではヤマイモ、全国的にはサトイモのことで、江戸期以降、新来のいもが導入されるようになると、九州ではサツマイモ、北海道ではジャガイモのことを「いも」とよぶようになったそうです。

群落

靄の立ち込める人の群落を
黒いマスクの女が横切ってゆく
道を裁ち切るテールランプ
そっちにあるはずの街
こっちにいるはずの輩
不動であったはずの立ち位置が
容易に崩れてゆく

黒マスク

最近しばしば見かける黒マスクは、竹炭パウダーで黒くしているため、ストレスの軽減やリラックス効果もあるのだとか。

やりくり

しょうがないわな
そうなろうとしてそうなっち
まったわけじゃあなし
じゃあどうしたらいいって
どうしようもないのを
がんばりゃなんとか
なんてたわごと
やりくりできりゃ
こんなこといっちゃあいない
あ〜あっていうしかない
あ〜あってやってるあいだに
ながれていくのをまつしかない
あ〜あって

(じ160108)

やりくり

「やりくり」は、あれこれ工夫して都合をつける意味のほかに、江戸時代には、遊女や人妻が情夫とこっそり会って情交する意味にも使われていたそうです。やりくり上手とは、密会や不倫がうまい女性と受け取られていたのかもしれません。

三途川

交差点を曲がりまた歩いて
がやがやっとどこに居るか
わからずにまた独り
なのにみんなとみんなで
みんなのために歩かなくっちゃ
ならなくって迷って
惑い疲れてだから一本道
歩きたくってひとに埋もれ
ひとに惑いひとに迷い惑わされ
ああ槍投げの軌道のような
弧を描き淡々と投げ続けている
一本道 いじめられても
やぶれかぶれで一本道
三途の川まで一本道
歩いて行けるところまで

(じ150820)

三途川

「三途の川」は、死後7日目に渡るという、冥途にある川。三つの瀬があって、生前の業(ごう)により、善人は橋、軽い罪人は浅瀬、重い罪人は流れの速い深みを渡るとされます。

ひとめぼれ

秋刀魚を食う
コメをサカナに
秋刀魚を食う
秋刀魚をサカナに
コメを食う
ジャパナマを飲みながら
秋刀魚と
コメを食う
ひとめぼれをサカナに
妻と秋刀魚を食う
新世代の日本酒ジャパナマを飲みながら
ササニシキをこえる味のひとめぼれを妻と食う

さんさ時雨か萱野の雨か声もせで来てぬれかかる

血統書つきの農林8号
と農林2号
を交配して半世紀前さんさ時雨で
ササシグレが生まれた
当時の花形
福坊主1号より10アールに1俵多く取れた
そして10年
やっぱり毛並みのいいハツニシキ
とササシグレのあいだに生まれた
ササニシキ
のライバル
コシヒカリの子の
ひとめぼれ
を 妻と食う
きょうのはあぶらののりが悪いね
と 秋刀魚をサカナに
ひとめぼれを食う

(利150830)

ひとめぼれ

イネの品種の一つ「ひとめぼれ」は、1981(昭和56)年に宮城県の古川農業試験場でコシヒカリと初星を交配して育成が始まり、1991年に命名登録されました。大冷害で大きな打撃をうけたササニシキからの転換品種として作付け面積を伸ばし、1994年には全国作付け2位となりました。

マサカリ

だからここから
踏み込んで
地塊の奥の奥まで
掘ってゆく
ハンマーを廻すときの
軸心で踏ん張って
踵のくさび打ち込み
マサカリを振り落とす
地上にひと突き
ふた突き
肉が皮膚を突き上げ
飛び出してゆく
ままにまかせて
動きづくり歩きづくり
もう逃げないよ
ツルハシ打ち込む
ぐさりと深く

(じ150804)

まさかり

「マサカリ」は、古くは鈇鉞(ふえつ)、斧より刃口が広いので「はびろ」ともよばれ、むかしから武器や刑具として用いられました。これをかたどって家紋とした武家もありました。

ムカシ ムカシ

ミギノ ホオニ ジャマッケナ
コブヲ モッテル オジイサン
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
ヤマヘ ユキマス シバカリニ
ニワカニ クラク ナリマシタ
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
アメモ ザアザア フリマシタ
ユウダチ ヤムノヲ マツウチニ
ツカレガ デタカ オジイサン
イツカ グッスリ ネムリマス

オヤマハ ハレテ クモモナク
アカルイ ツキヨニ ナリマシタ
オヤ ナンデショウ サワグコエ
ミレバ フシギダ ユメデショカ
オドリノ スキナ オジサン
スグニ トビダシ オドッタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
トテモ オカシイ オモシロイ

   ——ダザイ オトギゾウシ

(じ151119)

おとぎ

『お伽草紙』は、終戦の年、1945(昭和20)年の10月に筑摩書房から刊行された太宰治の短編小説集。「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」の4編が収められました。

ヒバリ

カラスはカラスの
うなり声
ヒバリはヒバリに
さえずって
いつものリズムで
生は奏でる
雨は雨の音はなち
土壌へ落下染みこんで
風は風なり力をふるい
ヒューと一本なげとばす
大地は大地ときしりをあげて
ときに騒めき裂きつくす

人生の稽古場では少女がひとり
声を出さずに泣きわめく

(じ151109)

ヒバリ

たとえば芭蕉の「永き日を囀り足らぬひばりかな」など、「ヒバリ」=写真、wiki=は、田園風景の春の風物詩として多く詠まれてきました。囀りを日本語に置き換えた聞きなしとして「日一分、日一分、利取る、利取る、月二朱、月二朱」というのもあるそうです。

伝説

生きているなら
ボケ頭
どん底どこかで
野垂れ死に
勲章なんぞ
ありゃしない
若くて逝きし
その未練
それでもすっきり
跡形なしに
来る時が来て
惜しまれて
伝説となる
まれもあり

(じ151007)

神話
*インドの伝説の女神カーリー

「伝説」は、その内容が話し手とその周囲の人々に真実であると信じられている、過去のできごとに関して述べられた話をいいます。

どんづまり

どんづまり
どうにもこうにも
行き場がなくて
生き場もなくし
犬の遠吠え
くうくうすがって
あきらめようか
畦道まがって
帰ろうったって
どこがある
開きなおるも
どんづまり

(じ151230)

どんづまり

「どん」は、名詞に付いて、まさにそれに相当するものであることを強調していうのに用い、接頭語「ど」をさらに強めた接頭語です。

破戒の出家は牛に生るる

股から胴にかけて
四つの肉塊が断ちきられた
すでに右足は天井から
垂れ下がる細引に釣るされている
海綿を持つたひとりの屠手が
しきりとその血を拭う
屠手のかしらが印判を取出し
肉の表皮へ無造作にスタンプする
引取りに来た牛肉屋の丁稚が
アンペラを敷いた箱を車の上に載せて威勢よく
小屋の中へとがらがら引きこんでゆく

肉は大きなはかりにかけられる
「十二貫五百」「十一貫七百」
屠手の一人が目方を読み上げる
牛肉屋の亭主は鉛筆を舐なめ手帳へ書き留める
あるものは残った臓腑をかたづけにかかり
あるものは桶に足を突込み血潮を洗ひ落す
片ももはいまだ吊されたまま
黄色い脂身が日の光をたっぷり吸っている

(島崎藤村『破戒』第10章の一部を改変して作成)

(じ150827)

破戒

『破戒』は、1906年に自費出版された島崎藤村の長編小説。被差別部落出身の教員瀬川丑松を主人公に、無知や因襲と戦い解放を求める人間の苦悩を描いた自然主義文学の代表的な作品とされています。

コーラス

もう歌えない
一粒のメロディも持ち合わせちゃいない
もう歌わない
流されずに黙って留まっている
もう歌わずに
じっと流されないようにしているだけ
もう歌はない
コーラスの輪はずっと向こうにいってしまって
もう歌でない
お仕着せだらけの蜘蛛の巣だらけ
もう歌わなくても
生きていけそうだから

(じ150908)

コーラス

「コーラス」=写真、wiki=は、合唱や合唱団のほかに、イギリスのエリザベス朝時代の演劇などで、前口上や結びの口上を語る語り手のこともいいます。

雲切れ

雲の切れはしで
月が化粧をはじめた
雲の隙間から
星がちょこり瞬きだした
雲の重なりをぬって
雷さんも出番をうかがっている
雲のまにまに漂って
祈りつづけるひと ひと ひと
雲のずっと向こうなら
きっとすべてがお見通し
雲の元締めに聞いてみようか
認知症のうちの母ちゃん
どこにいるんだって

(じ150913)

kumo

「雲切れ」は雲に絶え間ができること、雲の晴れ間。ときに「 雲切れを見付けた其嬉しさ(山田美妙「戸隠山紀行」)を格別に感じることがあります。

ラジオ体操

ふつふつと
脳の圧力容器から
沸き出してくる
記憶の蒸気
臨界の手前
タービンを回す
こともなく
霧散して
消えさる
拠って生きる
生かされて
はっと
鳥の声に醒める
認知症高齢者グループホームで
ラジオ体操がはじまる

(じ150807)

ラジオ

日本放送協会制作の「ラジオ体操」は、昭和3(1928)年に放送開始、数回の中断と内容変更を経て昭和26年に現在の「ラジオ体操第一」、翌年「ラジオ体操第二」がつくられたそうです。

博士

記憶のタンクに穴が開き
注いでも注いでも
たまっていかない
『博士の愛した数式』の
博士のように
80分でも持ってくれれば
いいのだけれど
けろけろっと
口に出したとたんに
漏れていって
漏れてることなんて
知ろうはずもなく
ぽかあっと何も
気にならず
いつも新しい空を
見つめていられる

(じ150819)

博士

『博士の愛した数式』は、2003年に新潮社から刊行された小川洋子の小説。交通事故による脳の損傷で記憶が80分しか持続しなくなってしまった元数学者「博士」と、家政婦である「私」とその息子「ルート」のふれあいが描かれています。

訥訥

雲は動いて雨は落ち
河は濁濁混ざり合い
風は騒騒吹きまくる
木は訥訥へし曲がり
山は黙黙山のまんま

(じ150910)

訥訥

「訥訥」は、話しぶりが流暢でなく、途切れ途切れの調子で喋る様子を意味する表現です。

スイッチ

できることなら
芭蕉になって
旅に出てみたい
叫び疲れて
開き直って
ちょっとした境地に
たどりついて
歩き出したい
くぐっておくべき門を
くぐらず来たから
歩いておくべき道
通らず来たから
戻れるところから
行き直しておきたい
スイッチ入れたら
止まらないところから
最後の人生
貫いてみたい

(じ150814)

スイッチ

「スイッチ」は、回路の開閉をする電気回路や光信号回路の基本的な素子の1つ。手で動かす簡単なものから電磁力による大型のものまであります。半導体を用いた電子スイッチは無接点で制御も容易にできます。

踏切

たれかのようには生きられず
たれかのようにと生きもせず
たれかのようには死ねられず
たれかのようにと死にもせず
この踏切は下がったまんまで
いつまでたっても開けはせぬ
時を待つのかひき揚げるのか
それともこじ開け渡ろうか

(じ151222)

踏切

困りものの「開かずの踏切」は、「ピーク時の遮断時間が1時間あたり40分以上となる踏切」と定義されているそうです。

三日月

ひっかけたら
すぱんと切れそうな三日月が
水面にどっかり横向きにすわっている
衣紋掛をぶら下げておきたくなるような
スマートな服など持ちあわせていない
退屈男がよこ顔をみつめている
あんなに鋭い鎌で
すぱすぱ刈っていったなら
そこそこには出世できていたのかと
ちょっぴり向こう傷が気になりなりながら
夜の釣り堀で
落着き払った三日月に
黙って糸を垂れている

(じ151017)

三日月

「三日月」は、朔を1日とする陰暦で、3日にあたる夜の月。円弧状の細い範囲が輝いているので、眉月(びげつ)、蛾眉(がび)、繊月(せんげつ)とも、2日までの月はほとんど見えないので新月、初月と呼ばれることもあります。

右へとび
左へとんで
翼ひろげるふりをして
逃げまわっている
挑んでみせるふりをして
じゃれついている
そんなに翼
ひろげなくても
いつもより
1ミリのばして
とんでみて
それがいいとか
わるいとか
好きだ嫌いだ
なんだとかっ
てのはずっと
あとのまつり

手をのばさなくても
つかめるもの
じゃあないものを
ちょっぴり
手をのばして
もとめていたら

(じ150926)

翼

「翼」は、飛行のために変形した脊椎動物の前肢。翼の形は鳥によって異なりますが、翼の骨は他の脊椎動物の前肢と同様、上膊(じようはく)骨、橈骨(とうこつ)、尺骨、腕骨、掌骨、指骨から成っているそうです。

途上

まだ旅の途上にいる
なにも見ていない
風も嵐も
さして
吹いてはいない

犬ころを連れて
サンダル履きで家を出て
まださしたる呻き声も
歓声も聞くことなく
言葉を見出すこともできず
旅の途上にいる

土砂崩れ警報が出た
ところもあるそうだけど
さしたる風雨も受けず鍾乳洞を
さ迷っている

遺伝子のゲノム解読が
すべて済んでしまったというのに
まだ鯨のお腹の中にいて夢心地
途上にある

(じ150917)

C1A9401
*「http://www.luissanmiguel.com/parada-en-el-camino/」から

世界銀行の分類では、世界209カ国(人口3万人以上)のうち、149カ国の低・中所得国が発展「途上」国に当てはまるのだとか。というわけではありませんが、貧乏にあえぐ私を含めて、世界の大半の人たちは「途上」を模索しているのでしょう。

工場の灯

闇の中をとぼとぼ歩くのは
けっこう気楽なものだ
つま先の少し先はもう
見えないのだから
たしかに不安は不安
なのだけれどエイヤッと
周りを気にせず
いっぽいっぽと
踏み出していける
ひとを気にせず
自分だけを拠り所に
ちょっとだけど
前へすすめる
さしたる望みは抱かぬが
遠くに何ということもなく
足がかりの灯はともっている
働かない工場のしるしだけの灯

(じ151031)

アークライト

「工場」は産業革命の産物。初めて近代的な工場が出来たのは、18世紀のイギリス。1769年にリチャード・アークライトが発明した水力を使った紡績機は高速で強い糸を紡ぐことが出来ましたが、利用するには水車の近くに工場=写真、wiki=が必要となりました。

川中島

食らう凄みで
川にらむ
食らわれたしかめ面で
川に待つ
軍馬なき戦場に
風が立っている
山が構えている
稲穂なき枯野
揺すり揺すられ
薄の吐息
粛粛と淡淡と
濃緑の川面を
過ぎてゆく霧
おせば引き
ひけば押し

(じ151001)

川中島

川中島=写真=は、長野市南部、千曲川と犀川との合流する三角州にあります。合戦当時は両河川の河川敷や原野でしたが、いまは水田やリンゴ畑が広がっています。

狼煙

煙が上がっている
どこから
現れたのか
そのとき
何がおこった
というのか
なにか知らせる
狼煙
百年つづく山焼きの
残り火だろうか
海のただなか
いまだに消えぬ船火災の
残渣
いいやそろそろと
山の裏から出だした
最期のお告げ

(じ150803)

狼煙

発煙、発火により遠方から合図を送る「狼煙」(のろし)=写真、wiki。文字通り、北方の遊牧民や狩猟民はオオカミの糞をたいてのろしにしたそうで、狼煙・狼火は風が吹いてもまっすぐに上がるのだとか。

諦め

たとえあなたがあなたを
しんじられなくなったって
あなたをしんじつづけている
ひとたちがいるってしってますか
それはあなたのおかあさんおとうさん
あなたのともだちやせんせいたち
いいえわたしだってそうなんです

そんなにかんたんにあきらめちゃって
いいんですか

(じ151208)

renuncia

「諦め」とは「つまびらかにする」「明らかにする」というのが本来の意味で、そこでは、ものごとの道理をわきまえることで自分の望みが達せられない理由が明らかになり、納得して断念する、というプロセスをたどるのだそうです。

*写真は、https://www.zonajobs.com.ar/noticias/grandes-consejos/motivos-para-renunciar-al-empleo/

アルペジオ

大波が寄せてきて
なにも打たずに
なにも聞かずに
ごっそりと
なにもかもを
さらっていった
むなしい潮騒
チェンバロが
同じオタマジャクシを
打ち続けている
ギターが
アルペジオを繰り返している

(じ150919)

アルペジオ

「アルペジオ」(イタリア語のArpeggio)は、和音の各音を同時に弾くのではなく、ギターなどで、下から上、または上から下へ順次に演奏する方法。ハープ(アルパ)のように鳴らすところからきた言葉のようです。

牛蒡

むかってくる
キョウキとなってむかってくる
むかってゆく
キョウキになってむかってゆく
ひこうきもくるまも
なまみのからだも
ヒトはいつから
そんなん
になってしまったのか
ヒトは土根になるための
いっぽんの牛蒡
でしかなかったんでは
なかったのか

(じ151016)

牛蒡

「牛蒡」(ゴボウ)は、千数百年前、薬草として中国から伝来したと考えられ、漢語の「牛蒡」が語源。食用にしているのは韓国と日本だけといわれる個性的な野菜です。

書簡

手紙を書いて割り切って
手紙を書いて生きていた
手紙を書いて明日になり
手紙を書いて何とか歩く
手紙を書いてハラを決め
手紙を書いてしめくくる
手紙を書いてさようなら
手紙を書いて逝っちゃった

(じ151203)

手紙

文字による通信伝達の手段としては、むかしは薄い細長い木の板に筆で文字を記した木簡を用いました。平安期になると、紙すきがさかんになり、都の貴族の間では木の板に代わって和紙を使った「書簡」が主流になっていきました。

SP

摩耗した
かろうじての振幅の溝に
針を落とす
まだ回っていたのだ
12インチ
毎分78回転の
SPレコード
ばち ばち
引っ掛け 引っ掛かり
幻のマタイ受難曲を
またいでゆく
飛んで 跳ねて
擦り切れるまで
擦り切れるため
生と
回りつづける

(じ150816)

sp

「SPレコード」のSPは、standard playing(標準演奏)の略。シェラックを主材とするレコードで毎分78回転。直径30cmのもので演奏時間は片面約5分でした。国内の生産は1970(昭和45)年ころで終了しています。

孤高

孤高の桜が
散らす
花びらを浴びる
タッチの差で最後の夢
消えたレジェンド
晴れた童顔
独り怖れず
散るに惑わず

(じ160411)

孤高

〈「孤高」と自らを号しているものには注意をしなければならぬ。 第一、それは、キザである。〉(太宰治「徒党について」)

犀川

犀の川を渡ってゆく
 いつものように
 ちょっとした用事で
犀の川を渡ってゆく
 いつものように一歩二歩
 リハビリの老人とすれ違い
犀の川を渡ってゆく
 いつものように戻っても
 繰り返すだけのことだから
犀の川を渡ってゆく
 いつものように頸垂れる
 芒の群れに見送られ
犀の川を渡ってゆく
 いつものように問答無用に
 ときは行ってしまうから
犀の川を渡ってゆく
 いつものように
 ぶらり ぶらりと

(じ150824)

犀川

「犀川」は、長野県北部を流れる、千曲川最大の支流。全長153km。松本市北東部で奈良井川と梓川が合流して犀川となり、長野市の市街地付近で裾花川と、上杉謙信と武田信玄が川中島の戦いを繰り広げた川中島付近で千曲川と合流します=写真、wiki。

桃の花

わけを打ち明けられてみれば
そこにあるのは箱庭の
吹きっさらし
はるかむかしに向きあった
餓鬼大将たちの古戦場
いつもみのらぬ林檎園
そんなことにも気づかなかった
ただの空

渦に巻かれてここに在るのは
子どものころの学級委員の
宿題を果たすためなのか
幹の動脈からわかれた
枯木の枝が空にはえ出して
もやもや病の血管みたいに
よるべなく
クモは巣をつくっている

吹き出物に満ちあふれた
卑小な宇宙のお椀の表層に
いつか咲いたはずの桃の花が
散らばっている
どこへ行こうと此処にあり
どこに在ろうと尽きもせず
それでも微かな彩りもとめ
ひろがってゆく

不慣れな定年退職者の
不慣れな痴ほう老人の
さして深刻でもない孤独が
ぶつかりあっている
虫眼鏡で覗きつづけていたら
サイクロンに呑み込まれたまんま
やっと遠くから望遠鏡で
眺められるような気がしてたのに

一本のかろうじての鍬で
老いた素人農夫が
耕しはじめた
春は疾うに過ぎ去った
痩せこけた畑地を
生きものの気配失せた土くれを
植えるもの未だ決めかねて
降り下ろしてゆく

(思160908)

モモ

ちょうどこの時期、淡い紅色花をつける「桃の花」=写真、wiki=。桃が咲き始める時期は中国では桃始華、日本では桃始笑と呼ばれ、それぞれ啓蟄の初候、二候にあたります。